2021年10月21日木曜日

メモ(78)

 楽譜の上で緻密かつ巧みに構成された楽曲であっても、それが聴き手を納得させるとは限らない。逆に、譜面では構成が雑に見えたとしても、最後まで聴き手、あるいは弾き手(歌い手)をとらえて放さない楽曲もある。だとすると「構成」とは何なのか。

 「耳(や身体)が満足できるのならば、それが本当の意味でうまく『構成』されているというべきなのであって、『紙の上』での巧みさになど、さほど意味はない」と言い切れれば話は簡単なのだが、そうした「巧みさ」、言い換えれば「必ずしも聞こえるとは限らない」面への配慮も怠らないという伝統が西洋芸術音楽にはある。そして、いわゆる「現代音楽」の一部ではその伝統が暴走してしまい、「書かれていること」と「聞こえること」の間に著しい乖離が生じてしまった(そして、そうした作品の演奏者は苦労するわりには報われないことに……)。

 そこで、「聴き手や演奏者を満足させるもの」として「構成」をとらえ、その観点からこれまで「名曲」とされてきた数多の音楽作品を精査してみると、いろいろ有益な知見が得られるのではなかろうか。