2024年6月30日日曜日

メモ(110)

  芸術がその時々の社会のありようを何かしら(結果として)映し出すということはあるだろう。が、そのことは「芸術は~映し出さねばならない」ということではないし、何も映し出していない(ように見える)芸術に価値がないというわけでもない。

 

 このところメンデルスゾーンのピアノ曲をあれこれ見直している。私はこの作曲家にはさほど心を動かされないのだが、それでもいくつかの作品については好ましく感じている。が、それはなぜかピアノ以外のために書かれた作品である(……と書いてから、2、3曲くらいは好きなピアノ曲があることを思い出した。が、それはあくまで例外であり、今までの私にとって、メンデルスゾーンは好ましい「ピアノ曲作家」ではなかった)。さて、これからこの見方が何かしら変わるであろうか?

2024年6月27日木曜日

メモ(109)

  作曲であれ、演奏であれ、音楽を学ぶ学生に「雄弁術」、すなわち、人前で効果的に話す仕方を学ばせるとよいかもしれない。音楽でもって聴き手を説得するのが音楽家なのだから、雄弁術には何かしらヒントがあるはずだ(もちろん、そうしたことは音楽の中でも「音楽の言語」に即して学ばれているに違いないが、そのことを意識化する上で雄弁術は有効だと思われる)

2024年6月24日月曜日

思わぬ拾いもの

  これまで自宅で使っていた大英和辞典は『ジーニアス』(大修館書店)だが、電子辞書なので文例が見にくく、紙の辞書が欲しいと思った(この電子辞書に乗り換える際、古い大辞典を処分してしまったのである。が、数年後、そのことを後悔することになった)。そこで、どうせなら違う社のものがよいと思い、今度は研究社のもの(第6版)を古書で購った(定価では手が出ない……)。その良し悪しはこれから使う中でわかってくるだろう。

が、この辞典には1つ大きな長所がある。それは人名の発音について、英語発音だけではなく原語発音も載っていることだ(恥ずかしながら、今の今まで知らなかった……。なお、『ジーニアス』には英語発音しか記されていない)。これは思わぬ拾いものだった。これまで自宅ではドイツ・オーストリア人についてはDudenの発音辞典、フランス人については『ロベール仏和大辞典』(小学館)で調べていたのだが、それ以外の国の人については少なからず苦労していたから、少なくとも20世紀までの有名人についてはこの研究社の辞典で何とかなりそうだ(とはいえ、少しマイナーな人になると、これはどうしようもない。というわけで、以前にもここで述べたが、西洋音楽関連の人名の発音記号と日本語表記、そして、作品名と正確な訳語を収めた辞典がつくられればよいと思う)。

 

NHK FMの『みんなのうた』でたまたま耳にした懐メロがある。それは《楽しいね》だ(https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN202212_03/)。子供の頃に耳にした曲だが、1965年が初出だとなると、私が生まれる前にすでにあったわけだ。ともあれ、ずっと頭に残っていたのだから、なかなかの名曲だということになろう(作曲者はあの《さとうきび畠》で有名な寺島尚彦)。今回はアレンジがすっかり変わっており、それがまた「楽しいね」なのである。残念ながら音源は見つからなかったので、放送で是非ともお試しあれ。

 

2024年6月21日金曜日

ユジャ・ワンのブゥレーズの第2ソナタ評

 焦元溥(森岡葉・訳)『時代を超えて受け継がれるもの――ピアニストが語る!』(アルファベータブックス、2022年:https://alphabetabooks.com/lineup/1073/)を読んでいる。同書は「現代の世界的ピアニストたちとの対話 」と銘打たれたシリーズの第5巻にあたるが、既刊の4つの巻同様、まことに読み応えがある。私もピアノ音楽は大好きだし、古今東西のピアニストに関心がありはするものの、この著者の造詣の深さには私など足下にも及ばない(どころか、お釈迦様の手のひらの上をとびまわる孫悟空のようなものだ)。それゆえ、実に教わるところが多いし、いろいろなことを考えさせられる。

 同巻のインタヴューに登場する1人にユジャ・ワンがいるが、面白い一節があった。曰く、「ブーレーズ《ピアノ・ソナタ第二番》も弾いてみましたが、何か特別なものを感じることができず、自分の聡明さや技巧を誇示するために弾こうとは思いませんでした」(前掲書、246頁)。まず、そうした作品に一度はきちんと目を通しているところはさすがだし、その上で世間(「現代音楽」業界?)の評価など気にせず、自分で判断を下しているところがすばらしい(誤解しないでいただきたいが、私は何もブゥレーズの同曲を弾くピアニストを非難したいのではない)。その一方で彼女は「同じ現代作品でも、リゲティ《練習曲》には共感を覚えます」(同)と語っており、事実、CD録音でも何曲かが取り上げられている(いずれ「全集」が完成することを期待したい)。ともあれ、今後もこのユジャ・ワンの活躍が楽しみである(久しぶりに実演にも触れてみたいものだ)。

 

  先ほど、近所の公園からラジオ体操の音が聞こえていた。その時点で夜の8時過ぎ(というわけで、録音を用いていたのだろう)。公園に面している家々ではさぞかし喧しいことだろう。我が家はほんのわずかだが離れているので実害はそれほどではないが、やはり不愉快である。いったい、かかる振る舞いをする人たちは何を考えているのだろう? いや、何も考えていないのだろうなあ。だからこそ、よけいに困る。

 

2024年6月19日水曜日

シェーンベルクの新譜

  今年生誕150年のシェーンベルクだが、CDの新譜はふるわない。出るとしても古い録音の再発売が多い。果たしてこれは不景気のなせるわざなのか、それとも、彼の音楽が結局は一般に受け入れられなかったということなのか、どちらなのだろう(その両方かも……)?

 その再発売の中にはブゥレーズがコロンビアに録音したものをまとめたものがあるが、これは以前に出た同レィベルのボックスにすべて収められているので私には不要である(お世辞にも面白いとはいえない演奏だが、勉強にはなる)。他方、やはりコロンビア録音のジュリアード四重奏団による新旧の弦楽四重奏曲全曲録音には大いに興味がある。すでに聴いたことのある旧録音はまことに尖った演奏であり、これはこれで時代のドキュメントとして面白いのだが、これがおよそ四半世紀後の録音では演奏がどう変わっているのかだろうか。興味津々である。

 それにしても、今、シェーンベルクの音楽が気になるというのは、やはりこんな世の中だからであろうか。

 

 

2024年6月15日土曜日

かくも円安だと

  ある時期以降、楽譜屋に行っても輸入楽譜にはなかなか手が出せなくなっている。言うまでもなく円安の影響だ。とにかく、数年前と比べて驚くほどに売価が上がっている。となると、私のように稼ぎが少ない者にとっては、「じゃあ、別に買わなくてもいいや」ということになってしまう(その分、国内版の楽譜に手が伸びる……かも)。そして、手持ちの楽譜を入念に読み直すことになるわけだ。同じことは輸入CDなどについても言える。これから新たに何も買わなくても手持ちのものだけで余生を楽しく過ごすに十分だと思える(これは強がりだけでこう言うのではない。少年時代、数少ない手持ちのLPをいったいどれだけ繰り返し聴いたことか。そして、そうした昔のことを思えば、今の暮らしにさほど不満を感じない。この国のデタラメさについては話は別だが)。

 というわけで、ここ数日、ブゥレーズのエラート録音CDボックスを聴いている。これは半ば「積ん読」(ディスクの場合、どう言えばよいものか?)に近い状態だったのだが、往年の「現代音楽」作品に触れると、「ああ、こうした音楽がアクチュアリティーを持っていた時代があったのだなあ」と心穏やかに楽しむことができる。もちろん、それはそこに収められている作品と演奏がそれなりの水準にあるからだ。とともに、やはりそれが今となっては「歴史の一齣」だという意識が私にあるからだろう。仮にそれらの作品を「今現在」のものとして聴かされたならば、「もうそんなふうに『現代音楽』をやるような時代じゃないのに」と思うことだろう。が、「現代音楽」ではない「現代の音楽」に出会える希望を私は決して捨ててはいない。

2024年6月14日金曜日

朴 葵姫 ギターリサイタル

  私にとって春が終わってから秋が来るまでは、暑さにひたすら耐えねばならない、まことに憂鬱な時期である。が、そんなときにこそ、涼を求めて聴きたくなる音楽もある。ギター音楽もその1つだ。というわけで、今日もまた。……いや、それは理由の1つにすぎない。以前からずっと聴いてみたかったギタリストの演奏会があったので出かけてきたのである(が、猛暑だったなあ)。

 それは何かといえば、「 葵姫 ギターリサイタル」(於:ザ・フェニックスホール(大阪) https://phoenixhall.jp/performance/2024/06/14/21269/)だ。実はこの人の公演はコロナのために1回お流れになっており、それだけに仕切り直しの機会を待ち望んでいたのだが、その期待を十分に満たしてくれる演奏会だった。演目は次の通り:

 

D. スカルラッティ:ソナタ K. 32, 178, 391

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 3

(休憩)

J.S.バッハ:リュート組曲 BWV998

A. バリオス:最後のトレモロ

A. バリオス:大聖堂

J.S.バッハ:シャコンヌ

(アンコール演奏:・タレガ:アランブラの思い出)

 

 

以上である。

が奏でる音楽はまことに自然体であり、気張ったところがない。大バッハの編曲もの(とりわけ、〈シャコンヌ〉)などではヴァイオリンの原曲が緊張と迫力に満ちたものだけに、ギターでもその再現を試みるかといきや(もちろん、それが悪いというわけではない。事実、そのようにした名演もいろいろあるのだから)、些か拍子抜けするほどに音楽は淡々と進んでいく(ただし、必要なことはきちんとやっており、決して平板な表現ではない)。だが、聴き続けていると、「ああ、なるほど、こんなやり方もあるのだなあ」と私も次第に引き込まれていったのである(それこそ、原曲を仰々しく弾きすぎる少なからぬヴァイオリニストの音楽づくりに疑問すら覚えてくるほどに)。たとえば、〈シャコンヌ〉で長調に転調するところの入りなど、表現はまことに慎ましいのに何と感動的だったことか。

ほかのどの曲でも演奏はすてきだった(し、選曲も巧みだった。スカルラッティとバリオスはそれ自体、曲も演奏もよかったが、これらがあることで私はJ. S. バッハをいっそう面白く聴くことができた)が、もっとも心惹かれたのは大バッハのリュート組曲だ。朴が紡ぎ出す調和に満ちた音調に耳を傾けていると、自分の心もwohltemperiertされていくのを感じた。いや、それはこの日の演奏すべてについて言えることなのかもしれない。というわけで、そのような音楽を聴かせてくれた演奏者(と演奏会の企画・運営者)に深い感謝を。どうもありがとうございました。いつか、この人が弾くフェルナンド・ソルを聴いてみたいものだ。

2024年6月11日火曜日

バルトークのピアノ曲に今更ながらに魅せられる

  バルトークは私にとってはなかなかに難しいところがある人で、嫌いではないのだが手放しに好きだというわけでもなく、興味はあるものの近づきがたいところがあるのだ。が、先日、わりあい早い時期のピアノ曲を聴いていたとき、ぐっと引き込まれてしまった。とりわけ、その何とも繊細な響きに魅せられる。もしかしたら、私がそこで感じている魅力は、世のバルトーク・ファンが感じているものとはどこかが違っているのかもしれない。が、そうした間口の広さこそ、彼が真に偉大な作曲家である証であろうか。

 「作曲家バルトーク」に負けず劣らず気になるのが「ピアニスト・バルトーク」だ。残された録音は数少ないのだが、そのどれもがすばらしい。それが事前に準備したものを披露するようなものではなく、まさにその場で音楽が生まれてきたかのようなものなのだ。ああ、彼はなぜもっと多くの録音しておいてくれなかったのだろう。残念至極。

2024年6月9日日曜日

遅ればせながら

  遅ればせながらミラン・クンデラが昨年に亡くなっていたことを今日知った。ご近所図書館で借りてきた彼のエッセイ集『出会い』(河出書房新社、2012年。同社の文庫での新版は2020年だが、『邂逅』と改題されている。意味は同じだが、私は「出会い」の方が好きだ)を読んでいたので、ふと気になって調べてみた結果、わかったのである。クンデラは音楽にも造詣が深いので、その文章からは教わるところが少なくない(たとえば、アドルノへの批判など)。というわけで、これからも折に触れてそれを読み返すことになろう。そして、その意味では彼の存在は私にとっては「不滅」である。

2024年6月8日土曜日

労多くして……

  演奏家にとって忌まわしいのは「実際には演奏がかなり難しいにもかかわらず、少しもそんなふうには聞こえない」箇所であろう。こうした「労多くして功少なし」なものは演奏に長けていない作曲家がついつい書いてしまいがちなのだが、バルトークのようなピアノの名人の作品で見つかると、些か驚かざるを得ない。

 それは〈ピアノソナタ〉BB881楽章第145小節以降にある。そこでは右手がF#音をずっと保持しなければならないのだが、その上下で素早い音の動きが何度も入れ替わるのだ(次の動画の2’ 28” あたりから。楽譜がついているので、それもご覧いただきたい:https://www.youtube.com/watch?v=OQ44z_ZqzXk)。これを弾くためにはその保続音で素早く繰り返し替え指をしなければならず、これはまことに弾きにくい。にもかかわらず、聴き手にはそのことは微塵も伝わらない。なるほど、名人ピアニストたるバルトーク自身には難なく弾けるものだったのかもしれない。が、結局、彼は自分が理想とする響きを書き留めただけなのであって、その弾きやすさなどはどうでもよかったということなのだろうか。

2024年6月3日月曜日

ぬか喜び

  たまたま「ライネッケ チェロ・ソナタ全曲」演奏会の案内を見つけた(http://www.gohki.com/wp/?p=8359)。「おお、これは凄い。今年の生誕200年に合わせての企画だろうか。できれば聴きに行きたいものだ」と思ったが、日付をよく見ると「2020年」ではないか……。とても残念。だが、こうした演奏会が近場であるというのはまことに心強い。これからはもう少し情報収集に努めなければ。

 その「幻の演奏会」の演目を: https://www.youtube.com/watch?v=IN3uJx0qjcI。何とよい曲ではないか。

2024年6月1日土曜日

ローレン・ラッシュの名曲《砂の中で》

  時折、無性に聴きたくなるのが米国の作曲家ローレン・ラュシュ(Loren Rush, 1935-)の《砂の中で Dans  le sable》(1967-68)だ(この人については、ここでも一度話題にしたことがある:https://kenmusica.blogspot.com/2020/07/blog-post_3.html)。かつてYou Tubeに音源があげられていたのだが、いつの間にか削除されており、残念に思っていた。

 ところが、今日、試しに検索してみると、別の音源があるではないか(https://www.youtube.com/watch?v=DQhQ0xqBGhw)。これはうれしい。この何とも不思議な感じの音楽をいつか実演で聴ける日がくればいいなあ。