ところが、歌曲の演奏では得てして歌手の声域の都合で移調がなされる。そのままでは高くて歌えないのでキーを下げる、というふうにだ。単独の作品ならまだしも、連作歌曲の中で、しかも曲によって下げ方もばらばらに歌われることも珍しくない。この場合、当然、各曲の調関係は壊されてしまう。が、かなり名の通った歌手でもそうしたことにおかまいにして歌っているので、これはもう習慣の問題であり、それ自体に良いだの悪いだの言っても仕方がないのかもしれない。
では、そのような歌手たちは作品とその調の結びつきに全く無頓着なのかというと、どうも必ずしもそうではなさそうだ。D. フィッシャー=ディースカウ、マティアス・ゲルネその他数種類のシューベルト《冬の旅》の録音を聴くと、他の曲はまちまちに移調しているのに、〈菩提樹〉は皆、原調のホ長調で歌っているのだ(もちろん、そうではない歌手もいるだろうが……)。確かにこの曲にはあまり高い音は出てこないので原調でも歌えるのかもしれないが、たぶん、理由はそれだけではなかろう。つまり、この曲とホ長調の結びつきが歌手たちにとっては何か冒すべからざるものに感じられているからなのではなかろうか? 私はあまり歌曲には詳しくないので、他の例を知らないが、たぶん、探せば見つかるような気がする。