2026年7月27日月曜日

ドビュッシーの音楽における旋律性と音響性の重なり

  ドビュッシーは自分の音楽が「旋律を廃止したもの」として賞賛されていることに驚き、それが「ただ旋律であろうとしてしかいない」と声を大にして異議を唱えたという。では、賞賛者たちはドビュッシーの音楽のありようを根本的に見誤ったのだろうか? そんなことはないと私は思う。なるほど、「旋律を廃止」というのは言い過ぎだったかもしれないが、そう受け取られても仕方のない面がそこにあったのは確かだろう。すなわち、彼の音楽は旋律を構成要素の一部として包含する「音響(サウンド)」としても聴かれたに違いない。

 おそらく、このことは次のように考えればよいのではなかろうか――①ドビュッシーの音楽は「旋律性」と「音響性」を重ね持っている。②両者の程度は作品によって、また、1つの作品の中でも場面によって異なっており、それが音楽に多彩さ、広がりと深みをもたらしている。③そして、そのことが作品の理解・解釈にかなりの幅の大きさを生み出している(すなわち、旋律性と音響性のどちらに注目するかによって作品の見え方(聞こえ方)が大きく異なってくる)――というふうにである。