明治初期、西洋音楽を移入した者たちにとって、それは「ピジン語」のようなものであり、音楽の母語たる日本の音(楽)言語に対して、西洋音楽言語は借り物でしかなかったろう。だが、やがて西洋音楽言語の学習が進み、それが「クレオール語」のようなものになり(これはあくまでも私自身を含む一般的、平均的な人たちについてのことであり、優れた能力の持ち主は西洋音楽言語を巧みに使いこなすようになった)、「借り物」の段階を抜け出た。そして、さらにのちにはその「クレオール語」は磨かれて、元の西洋音楽言語を母語とする者たちにもそれなりに通じるようになり、今日に至る。
昨日は「現代音楽」の悪口を言ったが、今日はその類の音楽を聴きに演奏会へ出かけてくる。やはり「今」の音楽のありように興味があるからであり、ごくごく淡くはあるものも、やはり期待はあるのだ。