2021年2月23日火曜日

刺激的なはずなのに

  プロコフィエフの第6交響曲の第1楽章の練習番号32には4本のホルンによる楽句がある。2本ずつが同じ音をオクターヴで交互にpfpで鳴らすだけなのだが、それまでの音楽の流れの中で何とも強烈な印象を与える、まさに「天才の閃き」としか言いようのない楽句である(こう言うと大げさに感じられるかもしれないが、プロコフィエフの作品にはこうした瞬間がしばしば訪れる)。

 ところが、ある指揮者の録音を聴いていたところ、この箇所がほとんど何の刺激ももたらさずにすっと過ぎ去っていた。「おかしい。そんなはずはない」と思い、何度か聴き直してみたが、やはり印象は変わらない。しかも、この指揮者は楽章全体のテンポもかなり速めにとっており、音楽が実に調子よく流れていくのだ。つまり、件の箇所に限らず、作品解釈としても私がそれまで聞き慣れていた他の指揮者たちとはかなり異なっている。

 これにはどうしても違和感を覚えてしまうが、もしかしたら、この指揮者の解釈は他のものが見落としている何か、新しい視点を含んでいるのかもしれない。とにかく、「きちんと聴いてみなければ」と思わせる演奏ではあった。というわけで、また改めてスコアを眺めながらじっくりと聴き直してみたい。