演奏技術面で何ら問題がなく、音楽としてもきちんとしているにもかかわらず、聴いていて「物足りない」感じがする演奏というものがある。そうした演奏に欠けているのは「意外性」だ。言い換えれば、そこでは既聴感しかせず、聴き手の予想をよい意味で裏切って驚きをもたらすようなことがない、ということである。すると、その類の演奏をする者がお決まりの演目しか取り上げないとすれば、わざわざ聴きに出かける必要はなくなる。そこで起こることは予めすべてわかっているのだから。
だが、今述べたような「匿名的」演奏を行う者にも活路はあるのではないか。それはお決まりの演目から脱却し、あまり人が取り上げないような、それでいてそれなりの質の作品を(何らかのコンセプトの下で)取り上げることである。そうしたものを一定以上の水準で演奏できる者であれば、聴き手に新しい世界を知る喜びをもたらすことができるだろうし、その演奏経験が演奏者自身のイノヴェーションにも繋がるはずだ。
ともあれ、「お決まりの名曲」が幅を利かしている現状は聴き手にとってだけではなく、演奏者にとってもよくないことであり、西洋芸術音楽の世界の衰退をもたらす一大要因であろう。