2020年6月10日水曜日

演奏の「伝統」(下)

 ストラヴィンスキーの《火の鳥》には複数の版がある。オリジナルが1910年作で、3つの組曲がそれぞれ1911年、1919年、1945年の作だ。そして、昨日あげた動画の演奏は1945年版によるものだが、フィナーレの件の箇所のみについていえば、記譜法がそれまでの版と大きく異なっている。すなわち、1919年版までが4分音符で記されていたのに対し、1945年版ではその音価が半分の8分音符になっているのだ(このことは今はなき旧ブログで随分前に話題にしたことがある)。すると、この版を用いるのならば、当然、ストラヴィンスキー指揮の演奏のようになるわけで、最初の動画のように朗々と奏でるのは明らかに楽譜に反していることになる。
 だが、《火の鳥》の4つの版で演奏機会が多いのは1910年版と1919年版であり、これがこの曲のイメージ形成に大きな影響を与えてきた。すると、それらの版の響きに馴染んでいた者にしてみれば、1945年版での変更は「改悪」に思われることもあろう(《ペトルーシュカ》の1911年版を支持し、1947年版を絶対に認めなかったエルネスト・アンセルメのように)。
 ならば1945年版を演奏しなければよさそうなものだが、たぶん、この指揮者は曲数を削りすぎた1919年版に些か物足りなさを覚えたがために1945年版を選んだものの、フィナーレについてはどうしても我慢できずに旧版のやり方に戻したのだろう。
 この推理の当否はともかく、1945年版のフィナーレでの「朗々とした奏で方」は別の版に、いや、それ以上に《火の鳥》演奏の伝統に由来するものであり、それゆえに件の演奏を単純に「間違い」だというわけにはいかないのだ。音楽作品というものはひとたび作曲家の手を離れると「別の生」を与えられることになり、しばしば元のかたちとは違ったものになってしまう(実のところ、《火の鳥》フィナーレでの「朗々とした奏で方」は1919年版にすら反している。なるほど、音価はあってはいるが、ストラヴィンスキーは決して「レガート」や「テヌート」で弾くように書いてはいないし、弦楽器はすべて下げ弓で弾くよう指示されているのに件の動画では弓を返している!)が、優れた作品にはそうした「違い」を受け入れるだけの懐の深さがある。
(ちなみに、私個人の好みでいえば、《火の鳥》は断然1945年版に限る。そして、むしろこちらの流儀に従って1910年版も書き換えたら面白いと思う。まあ、これは著作権が切れるまでは無理だろうが)。