2020年6月9日火曜日

演奏の「伝統」(上)

 長い間守られてきた習慣というのはそう簡単に変えられるものではない。演奏についてもまた然り。楽譜の表記と異なることがそうした「習慣」として行われている例はそれこそ枚挙に暇がない。そして、これは作曲者自作自演の録音があってもなおかつそうなのだ。
 たとえば、ラフマニノフのピアノ協奏曲。本人はけっこう速いテンポですっと弾いているのに(まあ、これには当時のディスクの収録時間の制約が関係しているという説もあるが……)、大半のピアニストはけっこう緩いテンポで大仰に弾いているのだ。あるいはストラヴィンスキーの《火の鳥》フィナーレでの次のような場面(動画の28’44”から):https://www.youtube.com/watch?v=PBAarFCS1RI
ここではまことに朗々と音楽が奏でられているが、これは楽譜の指示をまるで無視したものだ。作曲者が指揮した演奏はこうだ(同じく27’33”):https://www.youtube.com/watch?v=U-u33i1M0fI
このドライな演奏の仕方は楽譜に書かれている通りのものである。では、最初の動画の演奏は「間違ったもの」なのか? 必ずしもそうではない。
                                   (続く)