もっとも、「写経」でわかるのは作品の長所や美点ばかりではない。逆に短所やつまらない点もあれこれ見えてくるのだが、そこがまた面白い。たとえば、妙に冗長な部分だとか、「理屈」先行で音楽の実質が乏しい箇所だとかが、世間で「名作」だとされているものの中にもあれこれ見つかるのだ。
もちろん、そうした「長所」にせよ「短所」にせよ、あくまでも「写経」を行う者の「解釈・読解」に基づく判断であって、その内実は人によってさまざまだろう。が、いずれにせよ、「写経」もまた(楽譜を黙読することとともに)、作品に触れ、味わう1つの形態であって、そこには作品を聴いたり演奏したりするのとは違った楽しみや喜びがある。
暑い日が続くと、もうベートーヴェンなどは聴いてはいられない。というわけで、今日は湯浅譲二(1929-)の作品をいくつか聴いていた。管弦楽のための《芭蕉の情景》(1980)は大好きな作品であり、その音響空間と時間の構成には本当に魅せられる。