2020年6月5日金曜日

難儀な記譜

 次の譜例の下段2小節目を見ていただきたい(ちなみに、緑色は#の、赤色は♭の、黄色(下の写真ではわかりにくいが、元のものでははっきりそれとわかるようになっている)はタイで繋がれた(打鍵されない)音を表す。このように「写経」すると、楽譜が読みやすくなるし、その過程で音楽の中身についてもいろいろとわかって面白い)。



見た目にはまあ何とも面白そうだが、この(左右の手が常にずれており、しかもそのずれ方も一定ではない)リズムを正確に弾くのはそう容易ではない。また、かなり速いテンポ(四分音符=132)なので細かいところは大方の聴き手にはまず書かれていることを正確には知覚できまい(「できる」人の存在を否定するつもりはないが……)。しかも、この類の箇所が次々と現れるとなれば、これは演奏家にとっても聴き手にとっても難儀な話である。
 「現代音楽」にはこのように複雑に記譜された作品が少なくない(実のところ、上にあげたものはまだ読みやすい方なのだ!)。中にはそう書かざるをえなかったものもあるが、少なからぬものが「知的遊戯」に留まっていると私は思う(詳細は拙著『黄昏の調べ』で論じたので、この点に興味をお持ちの方はごらんいただきたい)。もちろん、そのすべてが無意味だったなどと乱暴なことを言うつもりはない。むしろ、それなりに興味深いものがそうした音楽にはあるとさえ考えている。が、今一度、それらの中身が精査され、今なお使える部分と使えない部分の「仕分け」がなされるべきであろう。そして、そうであってこそ過去の遺産も生きるというものだ(ちなみに、譜例はピエル・ブゥレーズの第2ソナタ第1楽章の第20-25小節。繰り返すが、私はこの曲が嫌いなわけではない(さもなくば、写経したりはしない)。が、良くも悪くもいろいろと問題を抱えた作品だと思う)。