2020年6月14日日曜日

ラフマニノフの精妙な記譜法

   下にあげた楽譜はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番第1楽章、第2主題冒頭である。何とも美しくも切ない旋律が分散和音にのせて奏でられるくだりだ。


  ここで注目して欲しいのはその分散和音の記譜法である。下段と上段にまたがって記されているわけだが、これを左手だけで弾くことは十分可能であり、すると、これは読譜上の便宜を図るため(つまり、下段のみに記すと加線が増えて読みにくいので、それを避けるため)にこう記されているのだろうか?
 いや、そうではない。そのことは(21組の)3段めの2小節めや4段めの3小節めを見ればわかる。すなわち、最初のものについていえば、4拍目のG-F-B-Eが左手だけで弾かれるものならば、B♭を右手の段に記す理由はないからだ。これはやはり、右手で弾いて欲しい音だからこそ、わざわざそう記したと考えるしかない。
 では、この第2主題を実際に書かれている通りに弾くとどうなるのか? 分散和音を左手に任せ、右手が旋律に専念するよりもかなり弾きにくくなるはずだ。が、反面、この旋律に何かしら緊張や陰影をこの16分音符は与えないだろうか? その細かい音符に足を引っ張られずに旋律を浪々と歌いあげる右手の表情に。
 こうした繊細かつ精妙な筆致にラフマニノフという作曲家のある一面がはっきり現れているように思われる。