今日聴いていたのはアドルフ・ブッシュ(1891-1952)が弾くブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番の録音だ(ピアノはルドルフ・ゼルキン)。録音日を見ると1931年5月4、7日とある。つまり、今から90年前になされたものであるわけだ。なるほど現在の演奏スタイルとはいろいろな点で異なっているが、聴いていて少しも「古さ」を感じさせられない。むしろ、まことに生き生きとした音楽のありように驚かされるくらいだ。
そのことについては、次のように考えることもできよう。まず、演奏者のブッシュが生まれたとき、まだブラームスは存命中だった。また、件の録音がなされたときでもまだ作曲者の没後34年しか経っていない! すなわち、ブッシュにとってはブラームスの音楽はそれほど遠い過去のものではなく、まだまだ身近に感じられるものだったのだろう。そして、それがおそらく、ブラームスの音楽が遠い過去のものになってしまった今日の演奏家にはない「生き生きした」感じをブッシュの演奏にもたらしているのではなかろうか。
もちろん、だからといって、現在の演奏家がブッシュなど過去の者の流儀をそのまま真似ればよいというものでもない。現代人には現代人なりの「課題」や「解決法」があるはずで、それを示してくれるのでなければ、ますます(私も含む)聴き手は「クラシック音楽」から離れていくことになろう。
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すでにここで何度か述べていることだが、やはり演奏家にも作曲の経験が必要であろう。そして、演奏家は「作曲家の代理人」に留まるのではなく、演奏自体が1つの再創造になるのが望ましい。19世紀までの演奏がおそらくそうだったように。
現在、「現代音楽」の作曲が低調であり、今後も当分はそれを脱する見込みがない以上、その分、演奏が創造性を発揮してしかるべきであろう。そうであってこそ、西洋芸術音楽の世界も延命できるというものだ。仮に「やりすぎ」があったとしても、長い目で見れば、その揺り返しがあってバランスが保たれることになるはずだ(逆に、作曲の世界は今は新奇性など追い求めずに、実用的な音楽の創作に励み、「失われた」受け手の需要を回復するのに務めるのが得策だと私は思う。そして、それもまた長期的には揺り返しがきて、「独創性」が重みを持つときがやってくるだろう)。