HIPの観点を日本歌曲の唱法に持ち込み、作曲家や作詞家が生まれ育った時代、地域の流儀で言葉の発音をするとすれば、果たしてどうなるだろうか。もちろん、その精度には限界があろうが、試みても悪くなかろう。その結果、従来のイメージを覆すような表現を引き出すことができる歌もあるのではないか?
外国語の歌曲のことをあれこれ勉強していると、同時に日本の歌曲のことも大いに気になってくる。
吉田秀和は『永遠の故郷』シリーズで日本歌曲をただの1つも取り上げなかったが(そのこと自体を非難するつもりは私には全くない)、たんに個人の好みとして済ませられない、日本の西洋音楽受容にとって重要な問題がそこにはあるような気がする。
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将来教員になるであろう者が多い教育学部の音楽科の学生にとっては、欧米諸語の歌よりも現場で日々生徒に教えねばならない日本語の歌の方が断然重要なはずだ。ところが、学部学生時代に私が受けた歌のレッスンではイタリア歌曲やドイツ歌曲は取り上げられていたが、日本歌曲はほとんどなかった(私の場合は歌は副科であり、声楽専攻の学生の場合は必ずしもそうではなかったようだが、それでも外国語の歌より曲数は圧倒的に少なかったはずだ)。が、これは必ずしも当時の先生の嗜好のためだけではなく、同様な傾向は他でもあったのではなかろうか。この点については過去から現在に到るまでの調査してみたら興味深い結果が出るようかもしれない。果たして状況は改善されているだろうか?