2022年1月25日火曜日

メモ(84)

 20世紀初頭に調性音楽を離れて五里霧中の「現代音楽」の世界へと進んだ者たちには(その成果の是非はともかく)未知の世界で危険に挑み、それが招く結果を引き受けるだけの勇気や覚悟があった。では、この2020年代に「現代音楽」を書く者はどうだろうか? もはやタブーなどない現状で何を書こうが、それは冒険にはなりようがないし、そこには何の危険もないのではないか?

実のところ冒険の余地はまだある。それは多くの受け手にある程度はわかりやすい語法や書式で書くこと(もちろん、それは機能調性を用いて古典的な形式で書けば済むなどということではない)、人々の「未知」ならぬ「既知」の領域で己の創作を行い、多くの受け手の反応に向き合うことだ。これは普通に「現代音楽」を書くよりも格段に難しいことだが、だからこそ「冒険」たりうるわけである。そして、それに挑む勇者が陸続と現れることを期待したい。

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上記の「冒険」は必然的に従来の「現代音楽」の書法の点検作業を伴うことになる。そこにはまだ「使える」ものもあれば、もはやどうしようもないものもあるだろう。が、とにかく演奏家と聴き手の現実を見据えつつ、「もう済んでしまった」ように思われていた事柄の中に新たな可能性を探ることが、現在の音楽創作にとって停滞からの1つの脱出口になるはずだ。