プロコフィエフ晩年のバレエ音楽《石の花》作品118を少しずつ聴き進めている。ソ連時代の彼のバレエとしては《ロミオとジュリエット》と《シンデレラ》の全曲録音には種々のものがあるが、この《石の花》の現役盤にはCDとDVDが1つずつあるのみ。つまりは人気が今ひとつなわけだ。が、そのCDを聴きはじめると、そこにはあるのは紛う方なきプロコフィエフの世界である。
音楽が簡素になり、表現の強さが増すというのはショスタコーヴィチの晩年にも見られることだが、私は断然プロコフィエフの音楽の方を愛する。もちろん、ショスタコーヴィチの晩年の作品にも傾聴すべき点は多々あるのだが、そこに感じられる「痛ましさ」ゆえに、私はごく稀に、しかもある種の覚悟を決めてしか聴かない(その結果、深い満足を得られはするが……)。プロコフィエフの晩年の音楽にもある種の「痛ましさ」が仄見える瞬間がないではない。が、それよりも格段に多く、澄んだ抒情性と何かへの「憧れ」のようなものが彼の音楽には聴かれ、それが私の心を引きつけずにはおかない。
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プロコフィエフのピアノ・ソナタ全9曲のうち、もっとも演奏頻度が低いのは最後の第9番だろう。1947年の作だから、上記の《石の花》にも相通じるところがある。私は昔からこの曲が大好きなのだが、残念ながら実演に触れたことがない。近場で誰かが取り上げてくれるのならば、喜んで聴きに行くだろう。
ちなみに、この第9番について金澤攝さんが面白いことを述べている:https://research.piano.or.jp/series/pandc/2018/10/009_2.html。