2022年1月19日水曜日

ジャズの「スペース」

  ジャズ関連の本を読んでいると、時折「スペース」という語に出くわす。たとえば、若き日のマイルズ・デイヴィスが先輩のディジー・ガレスピーの向こうを張ろうとしゃかりきになって吹いていたとき、チャーリー・パーカーが「お前はスペースを活かした演奏をした方がよい」とアドヴァイスした云々、というふうにである。すなわち、この「スペース」とは、音の適度な空き具合のことであるようだ。なるほど、確かにマイルズの演奏では音数がそれほど多くはなく、無駄がない。

 私はどうもこの「スペース」の使い方がうまいジャズ・ミュージシャンに心惹かれるようだ。マイルズ、モンク、ビル・エヴァンズ、ハービー・ハンコック、そして、佐藤允彦などがそうだ(このラインナップには異論があるかもしれないが、あくまでも私個人の感じ方にすぎないので、どうかご寛恕のほどを)。逆に、やたらに音数が多く、超絶技巧を誇示するような人にはあまり興味がない。クラシック音楽ではけっこうヴィルトゥオーソは好きなのに……。

  だが、よく考えてみると、たとえばホロヴィッツの演奏などは、演目の音数の多さにもかかわらず、そこに聴覚上の「スペース」(つまり、実際にはそれなりに音が詰まっているところでも、微妙なニュアンスの塩梅がもたらす「スペース」の感覚)を巧みに生み出している。そして、超絶技巧を示すタイミングも絶妙だ。その点、昨今の「ヴィルトゥオーソもどき」の演奏には「スペース」があまり感じられない。

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  ビル・エヴァンズの弾く〈私のお気に入り〉その他のメドレー:https://www.youtube.com/watch?v=YMyw-Smgj98。 これにはとにかくシビレてしまう。というわけで、ますます「お決まりの名曲によるクラシック音楽の演奏会」から足が遠のいてしまう私(とかいいながらも、2月には2つは演奏会に出かける予定。その感想は後日、ここで述べることにしたい)。