私はキリスト教徒ではないので、‘memento mori(死を忘れるな)’という文言を「来世のために今を慎め」といった意味にはとらず、元々の「今を楽しめ」という意味で理解している。いや、ようやくそうに理解できるようになった。
もっとも、「楽しむ」というのは決して享楽に耽ることではないし、「自分さえよければよい」などということでもなく、「限られた時間を自分が満足できるかたちで精一杯生きる」ということに他ならない(そして、そうであってこそ、他者を思いやり、自分なりのささやかな貢献をすることもできるというものだ)。もちろん、今までのそのような意味でそれなりに「楽しく」生きてきたつもりだが、反省してみると、まだまだ中途半端だった。すなわち、つまらないことに一喜一憂し、よけいなエネルギーを心身両面で浪費していたのだ。が、昨年末、いろいろと考えるところがあり、これからは断然「楽しく」生きることに決めたのである。そして昨日、間接的な知人が突然倒れて大手術を受けたと聞き、「ああ、人生、いつ何時、何が起こるかわからないなあ」と思い、ますます決意が強まるのを感じた次第。
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原博(1933-2002)という作曲家は「現代音楽」全盛の時代にあっては少なからぬ困難に直面しただろうが、「楽しく」生きた人に違いなかろう(たとえば、次のような曲を聴くとそう推察される:https://www.youtube.com/watch?v=6T-QijOtt-U)。そして、その意味で私は彼を尊敬している。そして、自分が「現代音楽病」の重症患者だった頃(1980年代初期から1990年代半ばまで)には「聴けたものではなかった」作品を病の快癒後には楽しく聴いている(なお、昔の「現代音楽」作品は今でもそれなりに楽しく聴いている。が、以前は名曲だと思ったものでも今となっては色褪せてしまったものも少なくない)。