2022年1月31日月曜日

ヴェーバーンのギター版《ピアノのための変奏曲》

いや、これは実に面白い:https://www.youtube.com/watch?v=ilh75ifVBB8。アントン・ヴェーバーンの《ピアノのための変奏曲》作品27をギター用に編曲したものだ(楽譜はウニヴェアザール社から出版されている)。この楽器は音色の面ではピアノよりも多彩かつ繊細な表現力を持っており、点描的なテクスチュアを奏でるのにも適しているので、むしろこちらの方が原曲よりも好ましく感じられるほどだ。

ロバート・クラフト監修の『ヴェーバーン全集』を聴いてみたが、やはりクラフトの指揮はつまらない。なんだか楽譜をただ音にしただけのような感じなのだ。が、それでもこの『全集』の復活は喜ばしい。1つには作曲者が活動していたときからそれほど遠くない(つまり、まだまだヴェーバーンの作品が「新しかった」)時点での貴重なドキュメントであるからだ。そして、もう1つには、ピアノを一手に引き受けているのがシェーンベルクの弟子のレナード・スタインであり、こちらの演奏はそれなりに聴かせるものだからだ。

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 ヴェーバーンの《変奏曲》がギターでできるのならば、シェーンベルクの《6つの小品》作品19もいけるに違いない……と思って念のためにYouTubeを検索したら、やはりあった:https://www.youtube.com/watch?v=oRrkkGdIMFE

 

 

2022年1月29日土曜日

ケリーのモンク伝をようやく読了

 少し前に話題にしたロビン・ケリー『セロニアス・モンク――独創のジャズ物語』をようやく読了した。あまりの密度の濃さに毎日少しずつしか読めず、かくも時間がかかったわけだが、それに値するだけの名著だと思う。次々と新しいものが現れてはすぐさま消え去っていく世の中にあって、そんなものにはとらわれない真の「創造」とは何かを考えさせられるとともに、それに取り組む者の生き様に深い感動を覚えずにはいられなかった。

ところで、私はこれまでジョン・コルトレーンには何かしら近寄りがたいものを感じていたのだが(私の手持ちのCDは2枚のみ)、このモンク伝を読んでいると、次第に「もっとコルトレーンが聴きたい」との思いが強まっていった。彼が亡くなる数カ月前、モンクと共演した際には、あの「フリー」なスタイルではなく、それに比べればクラシカルなスタイルで素晴らしいプレイをしたというが、それはどんなものだったのだろうか? 聴いてみたかったなあ。

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モンクは日本人に対して「我々のまねをすべきじゃない。自分たちのジャズをやるべきだ」(上掲書、499頁)と述べていたという。さすがである。

2022年1月27日木曜日

ジェフスキの《4つの小品》

  昨年亡くなった米国の作曲家・ピアニストのフレデリック・ジェフスキの作品では《不屈の民変奏曲》が突出して有名だが、他にもいろいろと名曲がある。たとえば、《北米バラード集》もいまや普通のレパートリーになっている(全音から『スクウェア/ノースアメリカンバラード』として刊行されている。ただし、そこに収められている「バラード」は4曲で、続編の第5曲は次のサイトで入手できる:http://icking-music-archive.org/ByComposer1/Rzewski.php)。そして、それらの作品とともに全音から出版されていながらも今ひとつマイナーな存在だった《4つの小品》もYouTubeを見ると、以前よりも弾く人が増えているようだ。

 私がこの《4つの小品》をはじめて聴いたのは(以前、ここで話題にしたが)今から37年前、金澤(当時は「中村」)攝さんの演奏会でのことだ。もの凄い演奏であり、作品も素晴らしいと思った。が、何としたことか、その後長らく、この曲を他のピアニストが取り上げるのを聴いたことがなかったし、録音にも出会わなかった。1つのものを除いて……。その「1つ」とは作曲者の自演盤(まだLPだった)であり、これがまた見事だったものだから、「なぜこんな名曲がもっと頻繁に取り上げられないのか」と訝ったものだ。

 とはいえ、先に述べたように、この《4つの小品》も少しずつ人気を得てきている。とりわけ第4曲がまことに印象的なものだから(https://www.youtube.com/watch?v=ra_n8jf7WRc)、これだけを単独で取り上げる人もいるようだ。が、どうせならばやはり4曲すべてを弾く方がよいと思う。というのも、4曲は第1曲冒頭に出てくる主題によって繋がりを持っているからであり、しかも、第4曲の面白さは第1曲から続けて聴いてきたときに格段に増すからだ。

 現在、《4つの小品》の現役盤はナクソスから出ているもの1つしかないようだ。以前は上記LPがCD化されたものがあったのだが、それはすぐに姿を消した(ので、私は買い損なった)。が、先日YouTubeで探してみたところ、この自演の録音がアップされているではないか。そこですぐに聴いてみたが、やはり凄い。ナクソス盤の演奏が悪いわけではないが、聴き比べてみるとパフォーマンスの説得力の違いは歴然としている(まず、ナクソス盤の第1曲:https://www.youtube.com/watch?v=nhIIXuMdPIc&list=OLAK5uy_nm67ITm6YLISRKyVLdOQcr_6XpQqIUzuE、そして、自演の第1曲:https://www.youtube.com/watch?v=YnjkQ3C79d8。この曲の山場はいずれも6分過ぎあたりからはじまる部分の中にあるが、後者の演奏は圧倒的だ)。

 ともあれ、ジェフスキの《4つの小品》は普通の聴き手にも十分に楽しんでもらえる作品だと思うので(全音のサイトでは楽譜は「在庫なし」だったが、アマゾンには在庫があった)、ピアニストにはどんどん挑戦してもらいたいものだ(し、私ももう一度実演で聴いてみたい)。

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 今から40年ほど前、私は高橋悠治の録音でジェフスキの《不屈の民変奏曲》を聴いて魅せられたが、当時、まさかこれほどまでにこの曲が将来広く弾かれることになるだろうとは思わなかった。ということはつまり、この作品が体現していた「現代音楽」批判の妥当性と実現可能性を「現代音楽」病の重症患者だった当時の私が見損なっていたということである。

 それはともかく、この《不屈の民変奏曲》――もはや半世紀近く前の作品である!―― が演奏家と聴き手のそれぞれに受容されていった過程を追跡すれば、いわば裏返しの「『現代音楽』衰退の歴史」の一コマとして描き出せるのではなかろうか。