2021年1月31日日曜日

プロコフィエフの自伝など

 『プロコフィエフ自伝/随想集』(田代薫・訳、音楽之友社、2010年)は日本語で読める数少ないプロコフィエフ文献の1つであり、作曲家自身の文章としてもまことに貴重だ(が、この訳本にはなぜか出典が明記されていない。プロコフィエフの文章となれば、ロシア語から訳したと考えたくなるところだが、英語版でこの訳書と同じ構成のものがあるので、そちらから訳したのかもしれない。いずれにせよ、やはり出典は示したほうがよかろう)。旧ソ連で書かれて発表されたものだけに、やはり体制への「気遣い」や「気兼ね」が随所にあるが、たぶん、それは全くの面従腹背でもなかったのではなかろうか。というのも、ソ連時代のプロコフィエフの作品を見る限り、ショスタコーヴィチの作品に感じられるような屈折はないからだ。もちろん、前者に体制への不満がなかったはずはないが、後者ほどのものではなかった――精確に言えば、プロコフィエフの方がよい意味で楽天的かつ前向きであった――のではないか、と思われる(私がショスタコーヴィチよりも断然プロコフィエフを好むのは、この「性格」の違いによるところも大きい)。もっとも、これはあくまでも音楽作品に基づく判断であり、実際のところはわからないが。

 とにかく、プロコフィエフ・ファンとしては、もっと日本語で読める文献が増えて欲しいと思うが、昨今の出版事情ではなかなかむずかしかろう。その中で重宝しているのが、全音楽譜出版社から断続的に出ているスコアの解説だ。その道の研究者や作曲家が執筆したもので、まことに読み応えがある。とりわけ、千葉潤氏の解説は見事であり、この人が1冊のプロコフィエフ論を書いてくれることを期待しているのは、たぶん私だけではないだろう。

 

2021年1月30日土曜日

メモ(30)

 以前、ある学生が「自分のリズムは日本的だとよく言われる」とこぼしていた。それはたぶん、日本語のモーラのように1つひとつの音をはっきり発音してしまうからだろう。自身では気をつけてはいても、知らずしらずのうちに「日本語」的な表現になってしまうわけだ。そして、これは程度の差こそあれ、実のところ多くの(日本語環境にどっぷり浸り、耳が日本語仕様になっている)日本人の音楽家に当てはまることではないだろうか。

 もちろん、耳のよい人はその「違い」を自覚しており、自分なりに外国語を手本に音楽の「発音」や「朗読」の仕方を習得しているのだろうが、本当ならば専門家を目指す人向けの音楽の基礎教育できちんと教えられてしかるべき事柄であろう。

 ただ、日本の中だけで活動する人にとっては、「日本語化された西洋音楽」であっても何ら問題はない、ということも言える。

2021年1月29日金曜日

聞いたこともないような出版社の安価な複製品には手を出してはいけない

 昨日話題にした海賊版、リプリント版だが、本当に信じがたいようなものが商品として少なからず出回っていることには驚かされる。

 自分もこれまでにいくつかそうした「地雷を踏んで」しまったことがある。たとえば、昔、フレデリック・ニークスのFrédéric Chopin as Man and Musician Amazonで物色したところ、恐ろしく廉価な版があったので、迷わず注文したところ、これがまさに「安物買いの銭失い」だった。届いた現物を見ると、章が変わっても空きスペースなく次の文章が続いているというとんでもないシロモノで、とうてい読めたものではなかった。そこで、仕方なく別の版を頼んだところ、今度は普通に読めるのだが、書誌情報が全く欠けており、出所不明の何とも怪しげなものだった。これに懲りて、この手の安価な複製本は注文しないことにした。

 ……はずなのに、その数年後、同じ轍を踏んでしまう。今度はテオドール・デュボワの『対位法とフーガ概論』のリプリント版がそれなりに安い価格で出ていたので、つい、注文してしまったのだ。これは原本の写真版で、それはよかったのだが、いかんせん、小さい判型に粗雑な印刷をしているものだから、多くの箇所で文字がつぶれて読めなかったのである。このときは「不良品」ということで即座にAmazonに返品した。というわけで、このときは本当に懲りた……のだが、今回、またしても怪しげな版をうっかり購ってしまった(IMSLPで公開されている――場合によっては書き込みさえある――ものをそのまま印刷したいかがわしい楽譜が少なからずAmazonで売られていることは、十分承知していたはずなのに……)。

 つまるところ、聞いたこともないような出版社の安価な複製品には手を出し(たくなるのが私のような可処分所得の少ない者の「現実」だが、そうし)てはいけない、ということである。そんなものを商品として売っている者(そして、それを普通に取り扱っているAmazon)の商業倫理の欠如は大いに非難されるべきだが、そうはいってもまずは「自分の身は自分で守る」しかない。というわけで、皆様はどうか頓馬な私の轍を踏まれませぬように。