ある分野で名をなした人の自伝というのはいろいろ学ぶところがあるし、何よりも読んで面白い。が、しばしば、そこには意識的、あるいは無意識的な「つくり話」が入り込んでいるから注意を要する。
最近も1つ、そうした「つくり話」に出会った。それはアルトゥール・ルービンシュタインの自伝『華麗なる旋律』(徳丸吉彦・訳、平凡社、1977年)でアルベニスの《イベリア》をめぐる件でのもの。ルービンシュタインは1916年、作曲者の故国スペインのマドリーでこの組曲全曲を3つの演奏会で弾いているのだが、「前に誰もこの曲をひいたことがなかったので、聴衆にとっては全く意外なものだった」(前掲書、569頁)と述べている。つまり、「自分こそがこの名曲の価値を見出し、広めるのに貢献したのだ」と言外に告げているわけだ。が、これが事実とは異なるというのだ。
そう指摘しているのはアルベニスの研究者ウォルター・アーロン・クラーク。彼は自著Isaac Albéniz: Portrait of a Romantic(Oxford University press, 2002)で、ルービンシュタインに先立つこと7年の1909年、スペインのピアニスト、ホアキム・マラツ(1872-1912)がすでに全曲をマドリーで弾いているという事実を示しているのだ(同書、p. 248)。このマラツはアルベニスのお気に入りで、《イベリア》全曲の初演者ブランカ・セルバ(ブランシュ・セルヴァ)よりも高く評価していたという(同)。
ルービンシュタインはまた、《イベリア》を適宜アレンジ(つまり、音を省略)してアルベニス夫人と娘に弾いて聴かせたことも『華麗なる旋律』で述べているが、それの中で「パパも大切じゃない伴奏部の音をずいぶんたくさん抜かしたわ」(前掲書、同)というアルベニスの娘の言葉を紹介している。なるほど、作曲者自身がそのように弾いたというのは本当のようだが、セルバはそんな弾き方をしなかったし、アルベニスもそれを許さなかったはずだ、とクラークは言うのだ(p. 224)。が、これはさすがに真偽のほどはわからない(クラークもまた、そうした「変更」がこの曲の演奏に必要とされている現状は認めている)。
ちなみに、私はなにもルービンシュタインの自伝の「誤り」をあげつらいたいわけではない。たぶん、同書には他にもいろいろと「事実と異なる」点が隠れているのだろうが、そのことでこの名著の価値が下がるとは思わない。それは当人にとっては「真実」だったのだろうし、1つの「物語」として同書はまことに面白いのだから。
ただ、こうした「自伝」の類が著者の没後に再刊される場合には校訂作業が欠かせず、事実関係を調査した上で註釈をつける必要があろう。そうすれば読者に事実誤認をさせることも減るし、著者の「語り口」をいっそう楽しめるようになるだろう。