2021年3月21日日曜日

凄絶な演奏

  昨日予告した通り、出かけてきた演奏会の感想を。それは「伊東信宏 企画・構成
土と装飾:郷古廉&加藤洋之 デュオリサイタル」(於:ザ・フェニックスホール(大阪))である(https://phoenixhall.jp/performance/2021/03/20/13321/)。演目は(先のリンク先にもあげられているが)次の通り:

 

前半

▼E.イザイ:冬の歌 (詩曲 3番)ロ短調 op.15
▼G.
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ イ短調 「トルソー」
▼P.
ヴラディゲロフ:ブルガリアン・ラプソディ「ヴァルダール」op.16

 

後半
▼P.
ヴラディゲロフ:うた(「ブルガリア組曲」op.21より)
▼G.
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ 3番「ルーマニア民俗音楽の性格で」op.25

 

このデュオが同じホールで2019年に行った演奏会を聴き、深い感動を私は味わっている。その感想(https://kenmusica.blogspot.com/2019/10/)の中で「エネスクの第3ソナタ」への期待を述べているが、まさかそれがこんなに早く実現するとは思わなかった。そして、その期待はまことにすばらしい演奏で満たされたのである。

 最初のイザイは前回の演奏会でも別の作品が取り上げられていたが、今回の演奏を聴きながら、改めてこのヴァイオリニスト=作曲家のどこか「危険な」ところを強く感じさせられた。美しい夢の世界のような音楽のそこかしこに微妙な「破れ目」があり、そこから何か恐ろしい、見てはいけないようなものが見えてくるのである。もちろん、それは今回の2人の演奏家の技によるところも大きい。ともあれ、これは続く本編への格好の前奏曲だった。

 ジョルジェ・エネスク(1881-1955)というのはまことに器用な人で、楽器演奏では本業のヴァイオリンのみならず、ピアノ演奏にも秀でていた(コルトーを驚嘆させるほどに)。そして、作曲家としては古典的な書法を完璧に手中に収めていた。若い頃に書かれた2曲のヴァイオリン・ソナタはその証しであり、今回演奏された「トルソー」はまさにそこから脱却すべくもがいていた頃の作品である。が、その「もがき」ぶりがまさに面白い。それを変なふうに取り繕わず生々しく示してみせた演奏のおかげもあってだ。

 恥ずかしながら私はパンチョ・ヴラディゲロフ(1899-1978)の名を知らなかった。が、そうした作曲家の作品に出会い、しかもそれが面白いときには本当に演奏会に来て「得した気分」になる。今回演奏された2曲は一言でいえば「民俗音楽と名人芸の混合物」であり、ある意味でリストの「ハンガリーもの」に相通じるところがある。が、決してそれだけのものではない。いや、世界は広く、まだまだ面白い音楽がいくらでもある。

 さて、お目当てのエネスクの第3ソナタだが、これは凄絶としか言いようのない演奏だった。最初から最後まで唖然とさせられっぱなし。演奏が始まると、たちまち会場全体がそれまでとは異なる何か怪(妖)しげな場に変わるのを感じた。そして、その中で郷古と加藤は世にも不思議な調べを奏で、響きを産み出していったのである。前者が奏でるヴァイオリンはもはや普通のヴァイオリンではなく、後者が弾くピアノはしばしばツィンバロンと見(聞き)紛うような響きを発した。そして、自由な即興演奏を思わせる2人の「ノリ」! いや、とにかく怪(妖)しい。だが、こうした演奏を聴いていると、そこに次第に何かしら一片の真実のようなものが感じられてくるのだ(のみならず、今、この文章を書いていて、逆に普通の表面的にきちんと整った音楽(演奏)の方に少なからぬ虚偽の匂いを感じている)。

 ともあれ、今回もまた凄い演奏を聴かせてくれた2人の演奏家に(そして、企画者と運営のホールにも)お礼を言いたい。とともに、次の機会を心から待ち望んでいる。たとえば、イルデブランド・ピッツェッティのまことに劇的なソナタが彼らの演奏で聴けたらなあ……。