1つの同じ音楽作品であっても作曲者、演奏者、聴き手によって異なった姿や意味を持つ。そして、いわゆる「現代音楽」の場合、三者の間の「ずれ」は作品によってはかなり大きくなる(このことは拙著『黄昏の調べ』で具体例をいろいろあげて論じている)。
すると、聴き手にとってはたんに楽譜を読み解いて構造や形式を示すだけの分析ではおよそ意味がなかろう。そうした分析で明らかにされたものははっきりと「聞こえない」ことが少なくないのだから。聴き手にとっては「どう聞こえるのか」「どう聴けばよいのか」ということに的を絞った分析、すなわち、「聴取ガイド」のようなものこそが有用であり、それがあればもう少し「現代音楽」にも馴染んでもらえるかもしれない。また、それだけではなく、「現代音楽の聴取分析」は作曲家と演奏家のそれぞれにとっても有益なはずだ。前者は「効果的な書き方」を、後者は「効果的な弾き(歌い)方」を考えるという意味で。
というわけで、これにはいずれ自分でも取り組んでみたい。 いや、それに留まらず、「楽曲分析の方法・手法」を論じたものを書いてみたいとぼんやりと考えている(もっとも、他にやりたいことがいろいろあるので、実現の可能性は高くはない。が、ゼロでもない)。「分析」とは「何」を「どのように」見たい(聴きたい)かによってやり方が異なってくるものである。何でも切れる万能包丁のような方法などありえない。作品や様式のありように応じて、そして、作曲、演奏、聴取等々といった種々の目的に応じて、さらにはその読み手に応じて「分析」の方法は違ったかたちをとるべきものである。それゆえ、私が構想する分析書は何かの決まった方法を(従来の少なからぬ分析書に見られる疑似科学のようなものとして)提示するのではなく、種々の可能性を試す「実験」を読者にうながす書となろう。