「作曲家が自作の最高の理解者だとは限らない」とはよく言われることだ。そして、この点と関わるのが「作品の改訂版は必ずしも改良版ではない」ということである。すなわち、作曲家自身がよかれと思って手を加えることが、結果として「改悪」になってしまうこともあるわけだ。
それゆえ、たとえばストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》をアンセルメやブゥレーズが演奏する場合、取り上げるのは1911年の初版であって、1947年の改訂版ではない。なるほど、両者の版にはそれなりに少なからぬ違いがあり、作曲者本人が言うように両者は別物なので、そうした選択は十分ありえよう。もちろん、1947年を選ぶこともだ(私個人としてはこちらの版を好む。《火の鳥》も1945年版がもっともよいと思っている)。
ところで、ブゥレーズもストラヴィンスキーに劣らぬ「改訂マニア」であり、(ジョイスの譲りの言い方で)「進行中の作品 Work in Progress」と称していくつかの作品に何度も手を入れている。が、この場合も後の版が先立つものよりも「よい」とは限らない。そこで演奏者にはどの版を選ぶかを考える余地があろう。作曲者が目を光らせているうちは古い版の使用は難しかったかもしれないが、今や泉下の人に気兼ねする必要はない(遺言で古い版の演奏が禁じられているのでなければ)。たとえば、《プリ・スロン・プリ》の決定版よりも初版の方を好む指揮者がいたとすれば、それを演奏に用いてもかまわないのではなかろうか。