2021年3月1日月曜日

Rachmaninoffという表記

 ラフマニノフは英語圏では普通、Rachmaninoffと表記される。ところが、これが折衷式の表記であることを最近知った。

 まず、元のロシア語では彼の名はРахма́ниновと綴られる。これをラテン文字に置き換えるとRachmaninovになる。ここで注目すべきは最後のvだ。これはロシア語のвに対応するもので、字面の転写の仕方としては間違っていないのだが、実際の発音という面では具合が悪い。というのも、вは語末に置かれると無声音化し、発音が/f/に変わるからだ。そこで、現行の英語表記のように語末をfとしたのだろう(なぜ、そのf2つ重ねられるのかは浅学の私にはわからない)。

 ところが、Rachmaninoffが発音法を活かした表記法かというと、必ずしもそうではない。というのも、chを英語では/x/(これは発音記号であって、ラテン文字のxではない)とは発音することはないだろうからだ(この/x/の音はドイツ語のBuchという語のchの発音である。なお、ドイツ語ではRachmaninowと綴ることになっており、こちらは英語とは逆にchの音は問題ないが、wに問題がある)。事実、英和辞典で発音記号を調べてみると、/rɑːkmάːnən`ɔːf/となっているではないか。まあ、英語の発音の原則からすれば当然こうなる。

 とはいえ、実際に英語でRachmaninoffch/k/と発音されているかというとそうでもなさそうで、試しにYou Tubeである動画を見てみたところ、それは/x/に近い音に聞こえたのである。となると、これは外国人の名前なので一種の外来語ということで、綴りと発音の不一致が認められているのだろう(ドイツ語の場合、Dudenの発音辞典では/rɑxˈmaːninɔf/となっており、wが  /f/と発音されることになっている)。同じことは、たとえばプロコフィエフの場合でも生じている。Прокофьевは英語ではProkofievと綴られる(これは先のRachmaninov同様、文字の忠実な転写)が、最後のvは英和辞典でも発音記号は原語の正しい発音通り/f/とされている。

 それにしても、外国人の人名表記というのは難しいものである。同じ音を共有する言語間ですらこうなのだから、そうではない日本語での表記は必然的に折衷的、いや、それどころか「間に合わせ」で済ませるしかない。が、それでももう少しきちんと整備した方がよいと思う。少なくとも「音」を大切にする音楽の分野では。それこそ、この国の音楽学研究者が言語学者とともにプロジェクト・ティームを組んで取り組む価値のある問題であろう(人名のみならず、作品名の表記と訳語について規範となるものを定め、辞典をつくればよいと思う)。