よく考えればわかるものをわかろうとしないのは知の怠慢だが、何でもかんでも自分の理解の枠組みに強引に押し込んで「わかった」ことにしてしまうのは知の傲慢である。
世の中にはどう考えてもわからないものがあり、その「わからなさ」に向き合い、そうしたものとうまくつきあっていく術がこの世で生きて行く上には欠かせまい。
「わからないもの」をそう易々と「わかったこと」にしないこと。
レーガー のピアノ曲は彼の創作の中ではどちらかといえば支流のようなものである。本流は室内楽曲やオルガン曲、そして管弦楽曲だろう。が、それだけにピアノ曲には本流にはあまりない気楽さや戯れ(もちろん、そうはいってもレーガーの作品だけに、その戯れは相当に激しくどぎついが)、そして、いわば素顔のような――本流の作品の底に潜んではいるが、なかなか表面に現れてこない――ものが見られ、そこがまた魅力となっている。