どんな宗教にせよ、神(仏)の存在を実証することはできない。できるのは「信じる」ことだけだ。同様に、A教の信者がB教の信者に対して「お前の信じる神などいない!」と非難することも不可能だ。そのことは証明できないのだから(「無神論」にしても同じこと。神の不在は証明できないのだから。ということは、これもまた1つの信仰だということになる)。ならば、お互いに「私は私の(無)神を信じる。あなたはあなたの神を信じるがよい」ということになるのが自然というもの(それを強引に「お前が信じているのは邪教だ」などと言い出すと収拾がつかなくなる。そのことは歴史が証明済み)。その上で、折り合いがつく部分はうまくつけ、つかない部分についてはお互いに不干渉で通し、利害が直接ぶつかる場合には粘り強く交渉を続けてその都度の解決を目指すしかあるまい。
さて、以上述べたことは「音楽」とは何の関係もないよう思われるかもしれない。が、そうではない。音楽も人の営みである以上、その根底には何かへの「信」がある。ならば、話は同じであろう。