2021年4月6日火曜日

モシュコフスキ

  「名曲」とは最終的には受け手の主観的な判断によって決まるものだろう。いくら多くの人がある作品を「名曲」だと評価していても、それが自分にとって「よい」ものに見えない、聞こえない、感じられないのだとすれば、それは断じて「名曲」ではない。そして、その逆もまた然り。

 さて、以上は話の枕。私にとってモリッツ・モシュコフスキー(1854-1925)は数多の名曲のつくり手である。が、悲しいことに世間一般では必ずしもそうではないようで、どうも「軽い」存在だとみなされているようだ。それが証拠に彼の作品はほとんど録音されておらず、ごく限られたものがディスクで聴かれるのみ。

 とはいえ、近年はありがたいことにその風向きが少しは変わりつつあるようだ。昔ならばモシュコフスキの「ピアノ曲」ならぬ「管弦楽曲」がいろいろと聴けることなどまずありえなかったが、今やそうしたディスクが登場している。が、それでもやはり彼の本領はピアノ曲。その体系的な録音がないのを寂しく思っていたところ、遂にその第一弾が出るとのことhttps://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD-1854-1925_000000000043368/item_%E7%8B%AC%E5%A5%8F%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E5%85%A8%E9%9B%86-%E7%AC%AC1%E9%9B%86-%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%96%E3%82%BD%E3%83%B3_11743472。これはうれしい。演奏しているのは先に述べた管弦楽曲の指揮を担当していたピアニストである。ということは、この人は相当本気で取り組んでいるということだ。ならば、ピアノ曲の演奏も期待できようというもの。これは是非とも完結にこぎ着けて欲しい。

 ちなみに、私がモシュコフスキの魅力を知ったのは、例によって金澤(当時は「中村」)攝さんの音楽室でのこと。今から30年以上前、かなりまとめてモシュコフスキ作品を聴かせてもらい、すっかり魅了されたのだ。当時はまだインターネットなど世間にはなく、当然、例の楽譜サイトもない。そんな中で耳にすることのできたモシュコフスキ作品の数々はまさに珠玉の輝きを放っていた。では、彼の音楽の何がそこまで私を引きつけるのか? それは華やかな音楽の表面のそこかしこに仄見えるノスタルジーの感覚であり、「憧れ」だ。そして、そうしたものを聴くと何かしら胸の高鳴りと切なさを覚えずにはいられない。