2024年7月13日土曜日

いずみシンフォニエッタ大阪 第52回定期演奏会:スペインの風景――庭から望む森

  今日は「いずみシンフォニエッタ大阪 52回定期演奏会:スペインの風景――庭から望む森」を聴いてきた(於:いずみホール(大阪))。とても楽しかった。

 演目は次の通り:

 

I.アルベニス(I.Dobrinescu編):スペイン組曲よりアストゥリアス

E.グラナドス(J.Choe編):12のスペイン舞曲集 op.37 【弦楽合奏版】より

 第3 ファンダンゴ/第5 アンダルーサ/第9 マズルカ ロマンティカ

M.ファリャ(川島素晴編):スペインの庭の夜

 

J.ロドリーゴ:ある庭園のための音楽[日本初演]

B.カサブランカス:・・・ 灰色の森が彼の下で揺れ動く(ホルンと室内管弦楽のための室内協奏曲 2番)[日本初演]

 

スペインの作品が年代順に並べられているのだが、よく考えられた巧みな選曲である(ただし、1つだけ不満があった。それについては後述)。

 最初のアルベニス作品は原曲のピアノ曲よりもむしろギター編曲で聴かれる機会の方が多いかもしれない。軽やかな音楽を管弦楽でやるとなるとどうなるか若干心配だったが、編曲が見事であり、演奏も素敵だった。まことによい出だしである。

 続くグラナドスだが、これはない方がよかった。1つには演奏会がその分長くなりすぎてしまったからである。そして、もう1つには先のアルベニスとは対照的に編曲が冴えないものだったからだ。とりわけ、〈アンダルーサ〉の編曲はぱっとせず、あの刺激的な音楽が何とも鈍重なものになってしまっていた。残念。

 前半のメインは次のファリャ作品。実はこれが一番楽しみだったのである。作品自体が大好きだし、独奏者が萩原麻未となれば期待せずにはいられないではないか。そして、実際、演奏はすばらしかった。奔放さと繊細さを兼ね備えた彼女の自由闊達なplay(「演奏」、かつ「遊び」)はファリャの音楽にはうってつけである。そうした萩原と指揮の飯森範親の(どちらかといえば)きっちり音楽をつくり込む流儀は音楽の方向性が些か異なっていたとはいえ、それもまた演奏を全体としてスリリングなものにしていた……かもしれない(なお、演奏には川島素晴の恒例「ダウン・サイジング」編曲が用いられていたが、原曲が管弦楽法の名手ファリャの手になるものだけに、さすがに今回は川島の名人芸をもってしてもいろいろ無理があったのは否めない。それにしても、そろそろこの「川島ダウン・サイジング編曲」は打ち止めにした方がよかろう。理由は(以前にも述べたが)、①それが熟達の名人芸によるものなのは間違いないが、さすがにもうマンネリである。②そのためにかかる費用や労力を他の作曲家――必ずしも若手に限らない――への新作委嘱や演奏使用料を要するオリジナル作品のために活用した方がよい、ということだ)。

 演奏会後半に取り上げられたロドリーゴ作品は私も知らなかったが、これがなかなかの佳曲だった(なお、初めの方に現れ、全曲中でモットーのように用いられる旋律の出だしが童謡《春が来た》と似ているために、曲を聴いている間中、私の頭の中では「春が来た」という言葉が響き続けた)。《アランフェスの協奏曲》があまりに有名なために(その他数曲を除いて)なかなか他の曲に実演でお目にかかれないのだが、今日聴いた限りでは、やはりロドリーゴという人はなかなかの作曲家だと思われる。一見まことにシンプルな音楽なのだが、決して凡庸ではなく仕掛けが巧みであり、響きも多彩だ。これからもっと彼の音楽を聴いてみたい。

 最後のベネト・カサブランカス1956-)の作品も私は今回初めて聴いたが、これも聴き応えがあった。彼の音楽は語り口が実に巧みで、聴き手の耳を飽きさせないのだ。音楽の中で起こるいろいろな出来事自体が面白いし、その「繋がり」も十分説得力を持っている。一度聴いた限りで「忘れがたい」何かがあるわけではないにしても、少なくとも「他の作品も聴いてみようかな」と思わせるだけのものがこのカサブランカスの作品にはあった。もっとも、それには今回独奏を務めたホルンの福川伸陽の名演も少なからず与っていよう。彼の演奏は以前、何かの放送で聴き、その巧みさに舌を巻いたものだが、実演で聴くとその凄さがいっそうよくわかる。そして、その福川を支えたいずみシンフォニエッタ大阪も見事だった。

 というわけで、全体として選曲・演奏ともにまことに充実したよい演奏会であった。演奏者の方々はもちろん、企画・運営に携わった方々にも深い感謝を。どうもありがとうございました。