2024年7月12日金曜日

聖アウグスティヌスの言葉

  聖アウグスティヌス(354-430)は音楽がもたらす耳の快楽について煩悶する。すなわち、「それが引き込む快楽への危険と、にもかかわらずそれが有している救済的効果の経験とのあいだを動揺しています」(アウグスティヌス『告白』、山田晶・訳、中央公論社、1978年、376頁)。そして、一方では「教会における歌唱の習慣を是認する方向にかたむいています。それは耳をたのしませることによって、弱い精神の持ち主にも敬虔の感情をひきおこすことができるためです」(同、376-377頁)といいながらも、こう付け足すのを忘れない――「うたわれている内容よりも歌そのものによって心を動かされるようなことがあるとしたら、私は罰を受けるに値する罪を犯しているのだと告白します。そのような場合は、うたわれるのを聞かないほうがよかったのです」(同、377頁)。

私はこうしたアウグスティヌスの言葉を、キリスト教の信仰に関わる問題としてではなく、音楽というものの取扱いの難しさ――すなわち、使い方次第で毒にも薬にもなるということ――の問題に繋がるものとして読みたい(ちなみに、私は音楽の「快楽」に身を委ねることを何等ら恥じないが、さりとて、音楽がたんにそれだけのものだとも思っていない)。