2024年7月18日木曜日

人にはいろいろな面があるが……

  昔の日本のクラシック音楽家について書かれたものや本人の文章を読むと、しばしば「安宅英一」という名前に出くわす。彼は音楽を含む芸術の大パトロンで、今日でも東京藝大の成績優秀学生に与えられる「安宅賞」にその名を留めている。

 ところが、私は少年時代、安宅英一の名を全く別の脈絡で知った。それは何かといえば、安宅産業――かつて存在した大総合商社――破綻の一因をつくった人としてである。英一(1901-94)は創業者、安宅弥吉(1873-1949)の長男なのだが、会社経営には向いていないとみなされ、後継者に指名されなかった。にもかかわらず、彼は「相談役社賓」という代表権を持たない不思議な肩書きで同社に関わり続け、悪影響を及ぼし続けたのである(以上のことを私は少年時代に読んだ次の書で知った:斎藤元一『フルブライト留学一期生』)、文藝春秋、1984年)。つまりは、安宅産業と関連企業、そして、その多くの従業員にとって、安宅英一は疫病神でしかなかったわけだ。

 人にはいろいろな面があり、ある面では「よき」人も別の面では「悪しき」人であるというのは、普通にいくらでもあることだ。が、安宅英一の名を「芸術のよきパトロン」として述べた文章に触れるたびに私はかなり妙な気分になる。そして、昨年も中村紘子のエッセイを読みながら、その気分を味わった。

 もっとも、古今東西の芸術の大パトロン――王侯貴族や大資本家―― たちの「原資」がどうやって生み出されたかを考えれば、安宅英一くらいの人にいちいち目くじらを立てるまでもないのかもしれない。が、「芸術とは金のかかるものだ」と言って涼しい顔をしていられる時代ではもはやあるまい。