今日もまた「現代アート病」の症例を見つけた。「アート作品にスープをかけるのは「創造的破壊」──環境活動家に下された禁固刑に芸術家らが反発」(https://news.yahoo.co.jp/articles/cf27407aeace3e362bd68441c13e801a82e2c2c1)。スープをかけるならば、他人の作品ではなく、自分の作品にどうぞ。果たしてこうした「活動」を養護するアーティストたちは、自分の作品に同じことをされても「創造的破壊」として受け入れるのだろうか?
こうした活動が「アート」などではなく、 思想・信条の表明だというのならば、まだ理解できなくはない。が、人のものを勝手に破壊するのは犯罪であり、それが罪に問われるのもまた自明なことであろう。それを承知で事に及んだのだと言われればそれまでだが、もしそうならばその結果も引き受けるべきだろう。また、これを無罪放免すべきだと主張する「アーティストや学芸員、学者をはじめとする100人以上の美術関係者」は、テロリズムをも容認するのだろうか?
それにしても「創造」というのは(もちろん、そのすべてではないが)いったいいつからこんなに安っぽいものになってしまったのだろう? なるほど、今から半世紀くらい前までは、かろうじてこうした行為が「それらしく」見えたようではある。だが、今やそんな時代ではない。芸術が持っている「批判」の役割というのは、断じてこのような表面的かつ見掛け倒しのものではないはずだ。
しかも、こうした愚行を「アート」だと称揚するのは、社会批判をも内包しうる「現代の芸術」の創作を真摯に行っている人たちにとっては迷惑な話であろう。