2020年12月11日金曜日

プロコフィエフの《つかの間の幻影》の弦楽四重奏版を楽しむ

 プロコフィエフの《つかの間の幻影》(1915-17)はピアノ曲だが、弦楽四重奏用の編曲で聴いても面白く、まるでオリジナルのように聞こえる(私が愛聴しているのはセルゲイ・サムソノフ編曲によるもので、演奏はEnergie Nove四重奏団による録音)。この曲集は他にもいろいろ編曲のしようがあるのではないか。つまりはそれだけ原曲には多くのものがつまっており、ピアニストの演奏解釈だけではなく、編曲によっても引き出せる可能性があるということだ。ただし、編成は小さい方がよいようだ(ルドルフ・バルシャイ編の弦楽合奏版は些か騒々しく感じられる)。必ずしも全曲ではなく、お好みの曲を選び出し、順番も変えてもかまうまい(作曲者自身の録音はそうなっている)。

 それにしても、私の「プロコフィエフ愛」は深まるばかり。彼の音楽のいったい何がそこまで自分を引きつけるのだろうか? 他方、ますます遠ざかるばかりなのがショスタコーヴィチの音楽だ(以下に述べることは、あくまでも私個人の趣味の問題にすぎない)。彼の作品が嫌いなわけではない。聴けば、やはりその見事な出来映えに唸らされるし、十分に楽しめるのだが、仮にもう今後二度と彼の音楽が聴けなくとも全くかまわないとさえ思う(これはショスタコーヴィチに限ったことではない。そうした作曲家は他にもいろいろおり、そうした人たちの作品についても、同様に聴けばそれなりに楽しめはするのだが……)。人生の時間は有限で、「あれもこれも」というわけにはいかないということか……。

 

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