リストのピアノ・ソナタは随所で管弦楽を思わせる響きがする。音楽の構想も雄大であり、これを管弦楽に編曲したくなる気持ちもわかる。が、実際にそのように編曲されたものを聴くと、何かが失われているように私には感じられてならない(https://www.youtube.com/watch?v=oL_3DvfqTCs)。実に見事な編曲ではあるのだが……。
このソナタにチェロ独奏用の編曲(!)があるから驚きだ:https://www.youtube.com/watch?v=-Ic1zJzk01A。ここでは当然、原曲の音はあれこれ削らないわけにはいかない。が、ほとんど何の不足も私はここに感じない。原曲が持つ音楽の構想の雄大さも、ピアノ独奏の名人芸が生み出す圧倒的な感じも十分に現されているからだ。巧みな件の(19世紀的発想の)管弦楽編曲に欠けている(というよりも、元々どうしようもない)のは、後者の点だろう。そして、前者の点さえもどこか矮小化されてしまっているように聞こえる。
つまるところ、「編曲」では原曲の音や構成もさることながら、その理念や雰囲気をどう扱うかが重要だということだろう。あるいは、編曲の目的も。こうした総合的な観点から「編曲」というもののありようを具体例に即して考え直してみたら面白かろう。