2020年12月14日月曜日

昔にはまるでつまらなかったものでも

 昔にはまるでつまらなかったものでも、時を経て接すると、こちらの見方、読み方、聴き方が変わっているためか、「こんなに面白いのに、なぜ、あのときはそう感じなかったのか?」と自分自身を訝ることが時折ある。もちろん、その逆も然り。お気に入りだったものが唖然とするほど「しょーもなく」思われることも。

 とにかく、「人は変わる」ということだ。過去との整合性など何ほどのことではない。人には常に「今」しかないのだ。それゆえ、その都度自分が面白いと感じるものを素直に楽しみ、そこから学び、今をよりよきものとし、充実させたいと思っている。

 こんなことを言うのも、少し前にたまたま手にした遠山一行(1922-2014)の著作を読み始めたら、まことに面白かったからだ。昔はむしろ嫌いな部類に属する文章だったにもかかわらず、今は楽しく読める。ただし、もちろん、(言葉の本来の意味で)「批判的」に――つまり、文章と対話をしつつ――だ(「音楽ゲーム」の構成要素たる「言及ゲーム」のありようを考える上で、「批評」というものについても考えないわけにはいかないので)。ともあれ、この遠山の文章についても、いずれここで何かを述べることにしたい(私は「批判のための批判」には全く興味はなく、論じるからには何かしら肯定的・積極的な意味で論じたい(そうでないものには初めから言及したくない)と考えており、その意味で遠山の文章は私にとって十分に「論じる対象」たりうるものである)。