昨日、中村紘子が描き出す(つまりは、彼女が生きていた)「ピアノ(音楽)の世界」を「ごく狭い」と言い表したのは、それ以外にも「ピアノ(音楽)の世界」があると思うからだ(もしそうでないのだとすれば、たとえば日本の音楽大学で学び、卒業した多くの人たちはどこに生きているというのだろう?)。
中村が多くの紙幅を割いて述べる「コンクール」なるものも、もはやとっくに賞味期限を過ぎた制度であろう。が、だからこそ、「昨日の世界」のインサイド・レポートとして、私は中村の冴えた筆による(他の話題に関するものも含む)エッセイを興味深く読まずにはいられない。
もちろん、これは私個人の見方であり、私にとっての「昨日の世界」をまだリアルな現実として生きている人たちもそれなりにいよう。世界は1つではなく、人はそれぞれに自分に合った世界の中で生きている。そして、どこかで交わりを持ったり、持たなかったりしている。
*追記
ところで、『ピアニストだって冒険する』の中で中村は自分が教えたある少年について述べている。 すばらしい才能の持ち主で、当時、17歳。この「A君」はその4ヶ月後に「或る外国の大コンクール」で「結果二位ではあったが[……]『これはまぎれもなく日本の洋楽史に初めて登場した国際的スーパースターだ」と確信した』という。そのため、中村は日本で「別格なやり方で華々しくデビュウさせようと、手はずを整えた」のだが、結局、諸般の事情でこれはお流れとなり、中村は少年と縁を切った。では、その「A君」はどうなったのか。中村の述べるところによれば、「人気に甘えて、あたかも世界を制覇したような錯覚をもってしまったのだろう。新しい勉強もせず、スター気取りでいるうちにやがて支持者も一人去り二人去り、やがて、そのまま消えていってしまった」。
何とも切ない話である。が、このインターネット時代 、「外国の大コンクール」に18歳で「二位」入賞の男性となれば、それが誰かは調べはつくだろう――というわけで、調べてみたところ、「この人のことではなかろうか?」という見当がついた。ところが、その人は「消えていって」などいないのである。これには驚いた。なるほど、中村の視界(や、彼女がよしとする「世界」)からは消えたのかもしれないが、その人なりに「新しい勉強」もきちんとしており、活動もしているようなのだ。これはいったいどういうことだろう? もしかしたら、私はうっかり人違いをしてしまったのだろうか? が、こういう話(https://research.piano.or.jp/series/pandc/2018/09/006_2.html)もあるだけに、どうももやもやしたものが私の中には生じてしまった。「一事が万事」というので、どうも中村の「筆の冴え」には警戒が必要なようだ。
とはいえ、 むしろそれだけになおのこと「中村紘子とその時代」という主題で誰かが冷静な筆致で(言葉の本来の意味での)批判的な著作をものし、日本の音楽文化の歴史的一局面を明らかにしてくれることを期待したい。