2021年6月30日水曜日

「世界」は1つではないので

 昨日、中村紘子が描き出す(つまりは、彼女が生きていた)「ピアノ(音楽)の世界」を「ごく狭い」と言い表したのは、それ以外にも「ピアノ(音楽)の世界」があると思うからだ(もしそうでないのだとすれば、たとえば日本の音楽大学で学び、卒業した多くの人たちはどこに生きているというのだろう?)。

中村が多くの紙幅を割いて述べる「コンクール」なるものも、もはやとっくに賞味期限を過ぎた制度であろう。が、だからこそ、「昨日の世界」のインサイド・レポートとして、私は中村の冴えた筆による(他の話題に関するものも含む)エッセイを興味深く読まずにはいられない。

もちろん、これは私個人の見方であり、私にとっての「昨日の世界」をまだリアルな現実として生きている人たちもそれなりにいよう。世界は1つではなく、人はそれぞれに自分に合った世界の中で生きている。そして、どこかで交わりを持ったり、持たなかったりしている。

 

*追記

ところで、『ピアニストだって冒険する』の中で中村は自分が教えたある少年について述べている。 すばらしい才能の持ち主で、当時、17歳。この「A君」はその4ヶ月後に「或る外国の大コンクール」で「結果二位ではあったが[……]『これはまぎれもなく日本の洋楽史に初めて登場した国際的スーパースターだ」と確信した』という。そのため、中村は日本で「別格なやり方で華々しくデビュウさせようと、手はずを整えた」のだが、結局、諸般の事情でこれはお流れとなり、中村は少年と縁を切った。では、その「A君」はどうなったのか。中村の述べるところによれば、「人気に甘えて、あたかも世界を制覇したような錯覚をもってしまったのだろう。新しい勉強もせず、スター気取りでいるうちにやがて支持者も一人去り二人去り、やがて、そのまま消えていってしまった」。

何とも切ない話である。が、このインターネット時代 、「外国の大コンクール」に18歳で「二位」入賞の男性となれば、それが誰かは調べはつくだろう――というわけで、調べてみたところ、「この人のことではなかろうか?」という見当がついた。ところが、その人は「消えていって」などいないのである。これには驚いた。なるほど、中村の視界(や、彼女がよしとする「世界」)からは消えたのかもしれないが、その人なりに「新しい勉強」もきちんとしており、活動もしているようなのだ。これはいったいどういうことだろう? もしかしたら、私はうっかり人違いをしてしまったのだろうか? が、こういう話(https://research.piano.or.jp/series/pandc/2018/09/006_2.html)もあるだけに、どうももやもやしたものが私の中には生じてしまった。「一事が万事」というので、どうも中村の「筆の冴え」には警戒が必要なようだ。

とはいえ、 むしろそれだけになおのこと「中村紘子とその時代」という主題で誰かが冷静な筆致で(言葉の本来の意味での)批判的な著作をものし、日本の音楽文化の歴史的一局面を明らかにしてくれることを期待したい。

2021年6月29日火曜日

中村紘子の筆の冴え

 ご近所図書館で中村紘子の最後の本、『ピアニストだって冒険する』(新潮社、2016年)を借りた。この人の筆の冴えは(もしかしたらピアノ演奏以上に)実に見事で、最後まで一気に読んでしまった。

もっとも、中村が描き出すピアノ(音楽)の世界は自分には一切無縁のような感じがしてならず、別世界のお話にしか思えない(が、そのごく狭い「世界」の中で生き抜こうとする人たちにとっては、たぶん、なかなかに建設的で有益な事柄が述べられているとようではある)。まあ、だからこそそれを気楽に楽しく読めるのだろう。とにかく、この人の筆力は凄い。未読の本もこの機会に探して読んでみよう。

他に興味深かったのは、著者の知人の音楽家に関するいろいろなエピソードである。中でも矢代秋雄(1929-76)との最後の電話の話には胸が詰まる思いがした。

2021年6月28日月曜日

音と香り

半世紀以上前に「ミクスト・メディア」ということが言われ、さまざまな試みがなされてきているが、「音」と「香り」の結合についてはどうだろうか? 私はその可能性を真面目に考えたことはないし、音と光のみならず香りと結びつけようとしたスクリャービンの試みに対してもあまり本気で受け取ってはいなかった。

が、昨日、次のイヴェントでまさに音と香りを結びつけるパフォーマンスに接し、なかなか面白かった:http://hall-gallery.horion.ed.jp/gallery-events/event/%e3%81%9d%e3%82%89%e3%81%ae%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%84/。音に香りが結びつくことで、想像力が大いに刺激されるのだ。奇しくもこのところお香を時折楽しんでいるので、これは自分でもいろいろ試してみなければなるまいと思った(外でも実践したいところだが、さすがにコロナ禍の中では難しい)。

ここ数年、上記のイヴェントの仕掛け人の一人、岩﨑陽子さん(「香りのアート・デザイン」の研究・実践をしている方で、学生時代にはいろいろ議論したり、一緒にフッサールの読書会をしていたことがある)の案内で「香り」関連のイヴェントを楽しませてもらっている。その都度、何か自分なりの発見や刺激があるだけに、次回も大いに気になるところだ。