2021年6月26日土曜日

中恵菜ヴィオラ・リサイタル~ヒンデミットに思いを寄せて

 予告通り、昨日聴いた演奏会の感想を。「中恵菜ヴィオラ・リサイタル~ヒンデミットに思いを寄せて」という演奏会がそれだ(ピアノ:北端祥人、於:ザ・フェニックスホール:https://phoenixhall.jp/performance/2021/06/25/14296/)。演目は次の通り:

 

ヒンデミット:
  瞑想曲(1938
  ヴィオラソナタ op.25-41922
  ヴィオラソナタ(1939
  無伴奏ヴィオラソナタ op.25-11922
  ヴィオラソナタ op.11-41919

 

選曲、演奏ともにまことに充実した見事な演奏会だった。というわけで、まずは演奏者に(そして、この会を「フェニックス・エヴォリューション・シリーズ」に選び、実現させたホールにも)大いなる感謝を。

 ヒンデミットは知名度の割にはなかなか演奏会で聴けない作曲家である。それゆえ、今回のようにまとまって彼の作品、しかも本人が演奏者として得意としたヴィオラのものに触れられるというのはうれしいかぎり。

 もっとも、ヒンデミットの音楽が「知」と「情」のバランスの取り方が難しく(彼の作品に聴かれる一見ドライで即物的な音のありようの根底には紛れもなくヒューマンな「情」がある)、演奏技巧面でも高度なものを要求する。それゆえ、なかなかよい演奏に出会えないのだが、その点でも昨晩の演奏は期待を満たしてくれるものだった(ただし、中のヴィオラにはもう少し音楽の広がりと「ゆとり」があれば、いっそうよかったと思う。求心的でストレートな表現をする中に対して、ピアノの北端はまことに巧みに「合いの手」を入れており、よいデュオであった。北端がヒンデミットの独奏曲、たとえば、《ピアノ音楽》op. 37を弾いたらどうなるのだろう? それにはかなり興味がある)。

 演目の配列にも演奏者たちならではの工夫が見られる。すなわち、機械的に時系列に作品を並べず、後半始めに無伴奏曲を置いて前半の空気を変え、もっとも盛り上がるop.11-4で締めくくる(そして、さらにアンコールに最初の演目をブックエンドのように置く)というというのはうまいやり方だ。

 この同じ演目を同じ演奏者たちが10年後に演奏するのを聴いてみたい気がする。ただし、そのときには作品を時系列に並べ直してである。というのも、その方がヒンデミットの音楽が次第に深まりと広がりを増していくさまがよくわかるからだ。そして、そのときにはこのような配列にしてもこの2人の演奏者は聴き手を満足させることができるだろうと思われるからだ。

 ともあれ、よい音楽を聴かせていただき、ありがとうございました。