このところ、夜遅くに昔々、つまり、今から40~30年ほど前に聴いていた懐かしの「現代音楽」作品に一人静かに耳を傾けている(たとえば、武満徹の60年代の作品を古い録音で)。
その「昔々」当時はそうした音楽を聴き始めて次第に熱中していった頃だった。そして、その「先」に起こるであろう「何か」に期待を込めつつ、音楽にじっと耳を澄まして聴き入っていたものだ(とりわけ、日曜夜11時からのNHK-FM「現代の音楽」には)。
しかしながら、その後、期待したような凄いことは「現代音楽」の世界にはほとんど何も起こらなかった。それは作曲家のせいだというよりも、もはやそうしたものが求められる時代ではなくなっていったからだろう。そして、今や「現代音楽」に限らず、万事がどんよりと曇った灰色の空のようだ。
が、だからこそ、自分は今更ながらに少年時代に胸をときめかせた音楽に耳を傾けているのかもしれない。「失われた時を求めて」? いや、そうではない。時間は決して逆戻りしないのだから、「昔はよかったなあ」と懐かしんでみたところで仕方がないではないか。だが、かつて胸のときめきや高鳴りを覚えた音楽に触れることで、そうした感覚を呼び覚ますことは決して無益ではあるまい。それは「今を生きる」上で1つの活力となりうるからだ。