国立大学の教育学部は各都道府県にあって、基本的には同県、もしくは近県の者が進学する場だった(それは教員志望者の地元志向とも無縁ではなかったが、必ずしもそれだけが理由ではなかったろう)。ただ、首都圏や関西圏の国立大学の比較的大所帯の音楽科(たとえば、東京学芸大学、お茶の水女子大学、横浜国立大学、大阪教育大学、神戸大学など)はなかなかにレヴェルが高く、教員、施設ともに地方の教育学部音楽科よりも充実しており(また、それら以外の地域でも、何県に1校かには「特設音楽科」なるものが「かつては」あり、そこもやはりそれなりに充実していたようだ)、学生の出身地ももっと多様だった(その中には下手な音大生よりも「うまい」人が少なからずいたし、プロの音楽家になった人もいる)。
大学改革はそうした都会の音楽科にはいくらか「やさしかった」ようだが、地方の音楽科の多くはなかなかに大変だったようだ(それは専任教員数の削減ぶりを見ればわかる。私の母校など、ほとんど「お取りつぶし」になっている)。そして、そのことに私などは少なからぬ悲哀の念を覚えずにはいられない。ともあれ、「国立大学教育学部の音楽科」の盛衰は日本の西洋音楽の受容・実践の歴史(や地方文化史)の一コマ(であるとともに、「ゼニにならないものには金を出さない」という方向へと「いっそう」大きく舵を切った教育行政の精神の貧困を示すもの)として記録に留める価値があると思うので、どなたかに挑戦していただきたいものだ。