普通に多くの人が音楽だと認めるものと、「音(サウンド))」としての音楽に対する聴き方の違いを考える上で参考になるのが、オルテガ・イ・ガセットが珠玉のエッセイ「音楽論」で示した卓見だ(この点については拙著『黄昏の調べ』第5章で述べた。ちなみに、同書は「現代音楽」の「歴史」ではなく、「美学」を論じた書である)。
ただ、オルテガはそうした聴き方を新旧の音楽の違いと結びつけているが、新しい音楽でも「既知」のものになってしまえば、旧いなじみの音楽と同様に聴くことができる。また、逆に旧い音楽でも聴き手にとって未知の様式によるものならば、新しい音楽のように聴かざるを得ない。
というわけで、オルテガの論はヒントにはなるものの、現在の問題を考える上ではいくらか手直しが必要になる。が、この哲人の鋭い洞察力には脱帽である。
まだ生きていると思っていた人が実は亡くなっていたと知ることは誰でもあろう。 私も先日、ある作曲家(音楽理論家)が死後5年を経ていることを知って、軽い驚きを味わった。が、この人が残した種々の理論書や楽曲解説を私はこれからも必要に応じて読み続けるだろうから、ある意味では自分にとってはまだ「生きている」人だと言える。
同じことはあらゆる今は亡き人たちについても当てはまる。作品を通して、そして、種々の記録、伝聞や記憶を通して、人は今昔の古今東西の直接は見知らぬ人や、直接知っていたが今は亡き人とともに生きており、日々、対話をしているのだ(こうした考え方はいろいろな人がすでに示していることではある)。