2021年6月16日水曜日

メモ(61)

 

 ジョン・ケージは「あらゆる音が音楽になりうる」と考え、実践した。「ある音が音楽になるのは、それを音楽として聴くときである」というわけだ。

 逆に、どれほど優れた音楽作品であっても、聴き手にそのつもりがなければ、それは音楽たりえない、あるいは、異なる意味や意義を持ちうる。

 音楽のありようや意味をそれに関わる人の行為の様態とともに考えること(逆に言えば、それ以外の問題は捨て去ること)――それが『ミニマ・エステティカ』での課題であり、「音楽する人のための」という副題はそのことを示すものだ。

 

 久しぶりにシルヴァーノ・ブッソッティ(1931-)の《ラーラ・レクイエム》(1969)を聴いたが、理屈抜きに魅力的な作品である(手持ちのCDとは異なる演奏だが、You Tubeにあるもの:https://www.youtube.com/watch?v=YT75v7ftIns)。