味覚に関して自分の好みの範囲を超え出ることを好まない人もいれば、常に何かしら新しい味や刺激を求めてやまない人もいる(もちろん、どちらか一方がよくて、他方が悪い、などということはない)。同じことは聴覚についても言えよう。そして、たぶん、両者の傾向には何かしら重なりがある――すなわち、味覚が保守的な人は聴覚も保守的であり、その逆もまた然り――のではなかろうか? これは調べてみたら面白かろう。
私はごく若い頃には味覚にせよ、聴覚にせよ、刺激を求め続ける方に属していた。が、やがて、それにも飽きてしまった。精確に言えば、たんに刺激的であるだけのものには満足できなくなり、その刺激をも1つの構成要素とする全体の妙味の方に注意が向くようになったのである。古典派の音楽を本当の意味で面白いと感じられるようになった――そして、そこにある「刺激」を味わえるようになった――のは、まさにそうした頃のことだ。そして、それとともに、それ以降の時代の音楽の「違い」もいっそうよく楽しめるようになったのである。(とはいえ、古典派にせよロマン派にせよ、いくら名曲だとはいっても同じものを味わい続けるのは嫌だ。それゆえ、演奏会の演目やCDの新譜情報などに「お決まりの名曲」が繰り返し出てくるのを見ると憂鬱な気分になる)。