2021年8月16日月曜日

メモ(72)

  急にヴィヴァルディを非HIP的な演奏で聴きたくなり(先日、打楽器合奏でのヴィヴァルディを楽しんだからだろうか)、手持ちのイタリア合奏団による《調和の霊感》(1988年録音)のCDを取り出してきた。モダン楽器による、時代考証など細かいことは気にしていない、まことにすっきり・くっきりした演奏はこの季節にはいわば涼風のごときもので、爽快さをもたらしてくれる。

 こうした音楽(演奏)――微塵も押しつけがましさのないもの――を聴いていると、「誰がつくった」とか「誰が演奏している」とかいったことはあまり気にならない。ただただそこにあるものに耳を奪われ、楽しむばかりである。他方、過度の独創性を求める「芸術」には激しく心を揺り動かされることもあるが、その押しつけがましさにうんざりさせられることも少なくない。