2021年8月17日火曜日

メモ(73)

 たとえば○○語の詩を朗読して聞き手の心を動かそうとするならば、読み手は○○語の音を自由に操ることができ、そのプロソディーも体得しており、詩の内容を把握した上でその解釈を朗読の仕方に反映させることができている必要があろう。そして、「西洋音楽」言語による音楽作品の場合でもことは同じだろう。

 だが、日本人の場合、ここに「日本語」の感覚が介在するので、その点を自覚しつつ演奏という「朗読」をつくりあげていく必要がある。これは「歌」に限ったことではなく、器楽にも言えることだ。むしろ、後者は言葉が直接関わらないだけにいっそう注意を要する。そして、この意味で、日本語を母語とする者向けに工夫された(その際、(広義・狭義両面での)調性音楽言語のプロソディー、イントネーションを事細かく学べるかたちにした)ソルフェージュ体系を開発する必要があるのではないだろうか。