2021年8月18日水曜日

武満徹に近かった音楽家が好んだ作品

  ここで何度も述べたことだが、私は武満の1970年代までに書かれた作品をこよなく愛している。そして、1980年代以降の作品は(《雨の樹》を除いて)好きではない。もちろん、これはあくまでも私個人の好みにすぎず、《夢の時》(1981)や《精霊の庭》(1994)のような作品を《地平線のドーリア》(1966)や《アステリズム》(1968)よりも好む人がいてもそれはそれでけっこうなことだと思う。

 さて、先日、『武満徹を語る15の証言』(小学館、2007年)を再読した際、面白いことに気づいた。すなわち、その中には武満と親しかった林光、池辺晋一郎、岩城宏之の「証言」も含まれているのだが、もっとも好む武満作品として彼らが選んでいたのが《テクスチュアズ》(1964)、《地平線のドーリア》、《アステリズム》や《カトレーン》(1974-75)といった作品だったのである(池辺は《系図》(1992)もあげているが)。やはり武満と親しかった一柳慧も別のところで80年代以降の武満作品を批判していたが、これはたんなる偶然の一致なのであろうか、それとも武満に対する1つの見方としてこれを共有する人たちが少なからずいる(いた)ということなのだろうか?

 繰り返すが、80年代以降の武満作品を高く評価する人たちを批判するつもりは私には一切ない。むしろ、そうした人たちの中から「後期」武満作品の魅力を説得的に論じてくれる人が現れることを期待さえしている。が、それはそれとして、私は(以前にもここで述べたように)80年以前の武満作品の魅力をいつか論じてみたい。