遅ればせながら小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について、話をする』(新潮社、2011年)を読んだ。私はもはや村上の小説の読者ではない(ということは、愛読していた時期もあったということだ)が、彼の音楽エッセイは今でも時折読み返すくらいなので、同書もたぶん面白いのだろうと思いながらも、ずっと手にとってみることがなかった。それはたぶん、小澤征爾という人に自分があまり関心を持っていないからだろう。にもかかわらず、ご近所図書館でたまたま同書が目にとまり、読んでみようと思ったのである。そして、読み始めると面白くて途中で止められない。師のカラヤンやバーンスタインを含む音楽家たちとの数々のエピソード、熟練の指揮者ならでは「音楽づくりの実際」など、興味深い話題が目白押しであり、対話の流れもまことによく(村上の受け答えと話題の振り方が見事!)、あっという間に読了してしまった。
私は小澤の録音をほとんど聴いていないが、それでも愛聴しているディスクがないではない。武満作品を収めたもの3枚と、「ドイツ・オーストリア系」以外の作品を収めたもの数枚である(例外はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番だが、これはあくまでも潮田益子の独奏が聴きたかったからだ)。ところが、この『話をする』で小澤は「なんといってもドイツ音楽がやりたかった」と述べているではないか。ということは、私は小澤にとってまことに「悪い」聴き手だったことになる。自分の中でこの指揮者のイメージをつくりあげてしまい、「ドイツ音楽」は彼に合わないと思い込んでしまっていたわけだ。が、『話をする』を読んでしまった以上、やはり一度じっくり小澤のブラームスやマーラーを聴かねばなるまい。1つには自分の「思い込み」をリセットするために。そして、もう1つには「好奇心」のゆえにだ。私は果たして小澤のドイツものに満足し、「よき聴き手」になれるだろうか……(こればかりはやはり聴いてみないとわからない。彼の演奏に失望する可能性だってあるからだ)。