1つの演奏会である作品を多くの人が聴いているとしよう。このとき、人々が聴いているものは「同じ」なのか? 人によって音楽の聞こえ方はさまざまであり、細かい音の動きや響きを明瞭に聞き取れる人もいれば、ごく大まかにしかつかめていない人もいよう。また、そうした「聞き取れる」人であっても、その音への意味づけの仕方を心得た人もいれば、そうではない人もいよう。にもかかわらず、その作品を「同じ」ものだと言えるとすれば、それは聴取の対象を同定できるという点でのことにすぎまい。
ならば、それを無理に「同じ」だなどとは言わずに、まずは人によって「異なる」ものだとする前提から出発し、その上で種々の問題を考える方が理に適っていよう。すると、たとえば「作品の同一性」などといった問題が決して本質論ではなく、プラグマティックなものだということがわかる。