2020年9月19日土曜日

「物を識ることと物を創ることは全く別だ」

「物を識ることと物を創ることは全く別だ」とは山本夏彦の名言(『無想庵物語』、文藝春秋、1989年、11頁)。なるほど、人間には「無から有を生み出せない」以上、ネタとなるものをある程度は「識る」必要はある。が、ものには限度で、あまりに何でも識りすぎてしまうと、却って創作の邪魔になるということは確かにあろう(「物をとてもよく識っている人」は「識る」こと自体が目的化していることが少なくない。そして、「教養」が邪魔をして発想の「危険な」飛躍に及び腰になることも。もちろん、これは立場を逆にして見てみれば、「物をあまり識らない人」はデタラメや独りよがりに陥ることが少なくないとは言える)。

 その点、現代はかなり容易に多くの情報が手に入るので、昔の人に比べて識りすぎてしまう危険は大きいかもしれない。もしかしたら、現代の作曲家に見られる1つの類型、つまり、「何でも器用にかなりの完成度で仕上げることができるが、結局のところ本当に何がしたいのかわからない」という人たちは、必要以上に「識りすぎて」しまい、己を見失ってしまったのだろうか?

 もっとも、「創る」のではなく「作る」こと、言い換えれば独創性を至上命令とする「芸術」ではなく、人々に実際によく使ってもらえる質の高いものをつくることを目的とする「職人芸」にとってみれば、かなりの程度「物を識る」ことは重要だろう。そして、現代ではそうした「職人芸」の意義が見直されてしかるべきだと私は思う。