往年の名ヴァイオリニスト、ナタン・ミルシテインのラフマニノフを巡る回想の一コマ。彼がチェリストのグレゴール・ピアティゴルスキーその他とともにラフマニノフ邸を約束なしに訪ねたときのことである。作曲家はちょうど昼寝中で、ミルシテインとピアティゴルスキーは待っている間に〈ヴォカリーズ〉の旋律をユニゾンで静かに弾き始めた。すると、本人が突然現れて、それをピアノ伴奏し、弾き終えたときには「目に涙を一杯浮かべて」いたという。しかも後日、この件について作曲家は他の人にこう述べていた。「忘れられない、素晴らしかった」と(以上、『ロシアから西欧へ――ミルスタイン回想録』、2000年、春秋社、189-90頁の当該箇所の要約)。
作曲家が自作に対してかくも素直に愛情を示しているさまは、なかなかに感動的である。ラフマニノフが決して楽天家でもナルシストでもなく、むしろ自己批判の強い人だったことを思えば、なおのこと。もちろん、彼が「忘れられない」と述べていたのは演奏の素晴らしさに対してでもあったわけだが、それ以上に作品自体のありようが「涙」を誘ったのであろう。とにかく、素直にいい話だと思う。
私も少年時代、この〈ヴォカリーズ〉が好きだったので、楽譜店でピースものの楽譜をたまたま見つけたには迷わず購った(が、今探してみても現物が見つからない(涙))。歌のパートもピアノで弾いてこの曲を味わったものだ。実際、この曲には種々の編曲があるが、やはり原曲通りに「声」による演奏が一番よいと今は思う(https://www.youtube.com/watch?v=5ZIQ2pHaJ1I)