何もかも統一的かつ完全に論じ尽くそうとする体系的・包括的理論というのは強力な「権力欲」(「権力への意志」!)の現れではないだろうか?――ジャン=ジャック・ナティエの『音楽記号学』を久しぶりに読み返していたら、ふと、そう思った。
何もかも「独り占め」しようとせず、自分に足りないところは他人の協力をあおぎ、あるいは、他人に任せてしまえばよかろう。その方が(もちろん、常に暫定的なものでしかないにしても)よりよい理論ができるのではなかろうか。
(拙著『演奏行為論』はその点、適度に「穴」やツッコミどころがあって、そこからいろいろな問題を展開できるはずである)